「あの人は決断が速い」
後継者をそう褒める声を、私は何度も聞いてきた。
そのたびに、少しだけ、こわくなる。
私はサービス業の会社で、22年以上、人事をやってきた。
ホテルや冠婚葬祭。地方の老舗。社員は300人ほど。
その仕事のかたわら、父が遺した小さな家業も継いだ。
だから後継者というものを、二つの立場から見てきた。
人事として、選ぶ側から。
そして当事者として、選ばれてしまった側から。
その両方から見て、ひとつだけ、はっきり言えることがある。
後継者に必要なのは、能力ではない。
「迷い方」だ。
世の中は、後継者に能力を求める。
決断力。頭の回転。行動力。
数字を読む力、人を動かす力。
たしかに、どれも要る。
要るのだけれど。
それらを全部そろえた後継者が、会社を壊していくのを、私は見てきた。
ある会社の二代目を思い出す。
賢い人だった。
話せばすぐ要点をつかむ。会議では誰よりも先に答えを出す。
先代が三日悩んだことを、彼は三分で決めた。
まわりは言った。「やっぱり若い人は違う」と。
本人も、それを誇りにしていた。
決断の速さこそが、自分の価値だと信じていた。
彼は、たぶん、そう育てられたのだ。
子どものころから「即断即決」を褒められて育った後継者は、多い。
「グズグズするな」「男は決めろ」
そういう言葉のなかで大きくなる。
迷うことは、弱さだと教わってしまう。
決めることだけが、強さだと刷り込まれる。
だから彼らは、速く決める。
速く決めることが、いいことだと信じて。
二代目が現場に来た日のことを、私はよく覚えている。
工程をひとつ、その場で変えると言った。
たしかに、合理的な変更だった。数字で見れば、正しい。
でも、その工程を二十年守ってきた職人の顔が、すっと固くなった。
何も言わなかった。
ただ、うなずいて、持ち場に戻っていった。
二代目は気づかなかった。
自分が、何を踏んだのかを。
そこから、おかしくなっていった。
社員は表向き従う。指示はこなす。
でも、もう本音を言わなくなる。
「どうせ聞いてもらえない」
「言っても、三分で却下される」
親の代から働いてきた社員ほど、静かになっていく。
その視線の冷たさに、二代目は最後まで気づかなかった。
数字は合っているのに、会社の空気だけが死んでいく。
決断が速いことは、信頼の速さとは、別のものだったのだ。
では、いい後継者は、決められない人なのか。
違う。
いい後継者は、決められないのではない。
決める前に、正しく迷う人だ。
正しく迷う、というのは、こういうことだ。
この決定で、誰が傷つくのか。
何が失われるのか。
長く勤めた人の、何を否定することになるのか。
それを、決める前に、いったん全部、引き受ける。
引き受けてから、決める。
迷う時間というのは、その引き受けのための時間だ。
決断を遅らせるための時間ではない。
決断に、覚悟を入れるための時間だ。
人事として面接を2,000人以上やってきて、わかったことがある。
人は、自分が大事にされたかどうかを、決定の中身では測らない。
決定に至るまでの「過程」で測る。
「ちゃんと迷ってもらえた」
その実感が、人を会社につなぎとめる。
逆に、どんなに正しい決定でも、迷いなく下されると、人はそこに自分の居場所を感じない。
迷ってくれた時間が、社員にとっては「あなたを軽く扱っていない」という、無言のメッセージになる。
信頼は、決断の速さからは生まれない。
迷いの誠実さから生まれる。
私自身、家業を継いだとき、ずいぶん迷った。
父が急に逝って、覚悟も準備もないまま、椅子に座らされた。
最初の決断は、なかなかできなかった。
夜、ひとりで帳簿を見ながら、何度も手が止まった。
「自分なんかが決めていいのか」
そう思った。
当時の私は、それを情けないことだと感じていた。
迷っている自分が、嫌だった。
でも、いまは思う。
あの迷いがあったから、私は古い社員たちに、いきなり嫌われずに済んだのだ。
決められない私を見て、ベテランの一人がぽつりと言った。
「先代も、そうやって悩んではりましたわ」
その一言で、私は少しだけ、その椅子に座っていいんだと思えた。
迷っている姿は、弱さではなく、敬意だったのだ。
先代が積んできたものへの。
そこで働く人たちへの。
AIの話を、少しだけしておきたい。
私は50歳でChatGPTやClaudeに触れた。
正直、驚いた。
経営の相談をすれば、選択肢を瞬時に並べてくれる。
メリットとデメリットを整理し、いちばん合理的な答えまで出してくれる。
決断のスピードという一点だけなら、もう人間はAIにかなわない。
でも、AIに、ひとつだけできないことがある。
迷うことだ。
AIは、答えを出す。選択肢を出す。
けれど「この決定で、あの職人の二十年を否定してしまうな」とは、迷わない。
痛みを引き受けることが、できない。
だとすれば。
これからの経営者の仕事は、速く決めることではなくなる。
答えはAIが出す。
人間に残るのは、その答えを「どう迷って引き受けるか」のほうだ。
経営者の価値は、決断の速さから、迷いの質へと移っていく。
皮肉なものだ。
AIが賢くなるほど、人間に求められるのは、迷う力になる。
だから、もしあなたが、いま後継者として迷っているなら。
決められない自分を、責めないでほしい。
その迷いは、たぶん、弱さではない。
会社のなかの誰かを、ちゃんと見ようとしている証拠だ。
傷つく人を想像できているという、資質の証拠だ。
速く決める後継者は、頼もしく見える。
でも、現場が本当についていくのは、迷ってくれる人のほうだ。
迷ってから決める人を、人は信じる。
その迷いを、捨てないでほしい。
迷えるあなたは、もう、後継者の半分を持っている。
あとは、迷い終わったあとに、ちゃんと決めるだけだ。


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