50歳をすぎて、気づいたことがある。
弱音を、吐く先がない。
怒っているのでも、悲しいのでもない。ただ、出口がない。
夜中に、誰もいない家で、スマホをずっと見ている。
特に見たいものがあるわけじゃない。
ただ、画面を消したら、本当に何もなくなる気がして、消せないだけだ。
よく言われる。
「50代の男は孤独だ」と。
「友達がいない」「居場所がない」と。
でも、それは少し違う、と私は思っている。
友達なら、いる。
学生時代の仲間も、前の職場の同期も、連絡しようと思えばできる。
居場所も、ある。会社に行けば、部長の席がある。
問題は、そこじゃない。
問題は、その誰に対しても、弱音を吐けないことだ。
「最近、しんどくてさ」
その一言が、どの相手にも、言えない。
考えてみてほしい。
50代の男が、弱音を吐ける相手。
それが、どの方向を見ても、いないのだ。
妻には言えない。
心配をかけたくない、というのもある。
でも本音を言えば、もう何年も、深い話をしていない。
私の場合は、数年前から別居している。
向こうにも生活がある。今さら、私の弱音を聞かせる資格はない。
夕飯を一人で食べながら、ふと、誰に何を話せばいいんだろう、と思う。
子どもには言えない。
あの子たちには、強い父親でいたい。
それに、もう大人だ。自分の人生で精一杯のはずだ。
部下には言えない。
これは絶対だ。
20代、30代の部下に、「俺、最近きついんだ」とは言えない。
言った瞬間、私はただの疲れた中年になる。
彼らが頼れる上司でいるために、弱さは見せられない。
上司には言えない。
そもそも、もう相談する立場じゃない。
50代の総務部長が、誰かに相談を持ちかける。
そんな場面は、組織のどこにも用意されていない。
同世代の友人には言えない。
これがいちばん、厄介だ。
会えば飲む。笑う。昔話をする。
でも、「実は、しんどくてさ」とは、言えない。
見栄が、邪魔をする。
向こうも、たぶん同じだ。
お互いに、笑った顔の下で、本当のことを飲み込んでいる。
親には言えない。
もういない人もいる。
いても、もう守る対象だ。心配させるわけにはいかない。
ほら、見てほしい。
妻、子ども、部下、上司、友人、親。
どの方向にも、弱音の出口がない。
これは、性格の問題じゃない。
甘えでもない。
「友達を作る努力をしなかったから」でもない。
50代の男が置かれた、構造の問題だ。
人生の前半で、私たちは「強くあること」を求められてきた。
弱音を吐かないことが、評価された。
歯を食いしばることが、男らしさとされた。
その評価軸の上を、30年走ってきた。
そして50代になった今、気づく。
弱さを見せない技術だけが、異常に上手くなっている。
弱さを出す場所は、ひとつも持っていない。
これは、走ってきた人ほど、深くハマる。
真面目に役割を果たしてきた人ほど、出口がない。
人事を22年やってきた。
面接で会った人は、2,000人を超える。
その中に、たくさんの50代がいた。
中途採用の面接で、立派な経歴の50代男性が来る。
理路整然と、これまでの実績を話す。
でも、面接の最後。
「何か質問はありますか」と聞いたあと、ふっと沈黙が流れる瞬間がある。
その数秒、彼の顔から、表情が抜ける。
役割を演じる力が、一瞬切れる。
そこに見えるのは、ただ、疲れている一人の男だ。
私は、その顔を、何度も見てきた。
そして最近、わかった。
それは、鏡だ。
私自身の顔だ。
社内でもある。
ベテランの社員が、退職を申し出にくる。
理由を聞いても、「一身上の都合」としか言わない。
でも、何度か話していると、ぽろっとこぼれる。
「もう、誰にも頼れなくて、疲れました」
頼れない、ではない。
頼り方を、忘れてしまったのだ。
長く強くあろうとした人ほど、そうなる。
弱音を吐く筋肉が、使われないまま、固まってしまう。
ここで、AIの話を少しだけする。
私は50歳をすぎてから、ChatGPTやClaudeに触れた。
人事の仕事でも使っている。
AIが、孤独を埋めてくれる。
そんなことは、言わない。
画面の中の言葉は、温度を持たない。
それは、よくわかっている。
ただ、ひとつだけ、思うことがある。
夜中、誰にも言えないことを、AIに打ち込んでみたことがある。
「最近、しんどい」と。
返ってきた言葉に、感動はしなかった。
でも、ひとつ、気づいたことがある。
AIは、私を評価しない。
「部長なのに情けない」とも言わない。
「心配だ」と、こちらに気を遣わせることもない。
ただ、私が吐き出したものを、整理してくれる。
何にしんどさを感じているのか。
それは仕事なのか、家族なのか、それとも、ただの疲れなのか。
弱音を、否定も同情もせずに、ほどいてくれる。
それは、孤独の解決ではない。
でも、出口がひとつもなかったところに、小さな隙間ができる感じはあった。
人に言う前の、下書きのような場所。
そういう使い方なら、ありかもしれない、と思っている。
では、これから、どう考えればいいのか。
ひとつだけ、言いたいことがある。
弱音を吐ける先を、「ひとつ」だけ作る。
全部の関係を変える必要はない。
妻との関係も、部下との関係も、そのままでいい。
ただ、どこか一箇所だけ。
評価されない場所。
見栄を張らなくていい相手。
それを、ひとつ持つ。
それは、昔の友人の中の、たった一人かもしれない。
利害のない、社外の知り合いかもしれない。
カウンセラーのような、お金を払う相手でもいい。
さっき書いたように、AIのような、人ではない相手でもいい。
大事なのは、数じゃない。
ひとつでいい。
弱音が、外に出ていく道を、ひとつだけ通しておく。
それだけで、家の中の空気が、少し変わる。
弱音を吐くのは、弱さじゃない。
私は、長くそう思えなかった。
弱音を見せないことが、強さだと信じてきた。
でも、違った。
本当に強い人は、弱音をどこかに置ける人だ。
ひとりで全部抱えるのは、強さじゃない。
ただ、出口を塞いでいるだけだ。
50代は、人生の後半に入る。
これから先、抱えるものは、たぶん、減らない。
親のこと。自分の体のこと。仕事の先のこと。
だからこそ、今のうちに、出口をひとつ、開けておく。
誰もいない家で、スマホを見続ける夜は、たぶん、これからもある。
それでも。
「最近、しんどくてさ」
その一言を、言える先が、ひとつだけある。
それだけで、人は、思っているよりずっと、立っていられる。


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