父が亡くなった日、私は東京の会議室にいた。
電話を受けて、新幹線に乗って、
気づいたら、地方の工房の隅に立っていた。
父は、突然だった。
朝、いつものように工房に出て、
昼を過ぎても戻ってこないので、母が見にいった。
それが、最後だった。
帰省したのは、日が暮れる頃だった。
家に着いて、最初に目に入ったのは、
父の靴ではなく、玄関に置かれた、見慣れない封筒だった。
母は、声を絞り出すように、
「これ、お父さんが、たぶん、あなたに渡したかったやつ」
と、それを差し出した。
中身は、借金の明細だった。
3行だけ書かれていた。
家業の運転資金として借りていた、銀行への返済残高。
仕入先への買掛け。
地元の知人からの個人借入。
合計が、私の年収の、ざっくり半分くらいの金額だった。
「半分の借金」と聞いて、
最初に頭に浮かんだのは、
「家業を畳む」
という言葉だった。
正直に書く。
私は、その瞬間、本気でそう思った。
東京で、本業の人事責任者をやっている。
副業のAmazon物販も、軌道に乗り始めていた。
地方に戻って、伝統産業を継ぐ理由は、どこにもなかった。
借金を清算して、工房を畳めば、
家族の生活は、たぶん、なんとかなる。
その夜、
工房の鍵を開けて、中に入った。
父が最後に座っていた、作業台の椅子に座った。
道具が、いつもの位置に、きれいに並んでいた。
父は、最後の朝も、
ちゃんと作業に取り掛かろうとしていたのだ。
翌朝、
職人さんたちが、葬儀の前に、工房に集まってくれた。
3人。
全員、父より年上だった。
70代の親方が、ぽつりと、
「親父さんが、最後まで、あんたに会わせたい言うてはった」
と、私に言った。
「うちらは、お弟子じゃのうて、家族のつもりやから」
その瞬間、
「家業を畳む」という選択肢が、
頭の中から、消えた。
借金を返すには、家業を続けるしかなかった。
でも、それだけじゃなかった。
70代の親方の手と、
父が遺した道具の並びと、
母の、震えていた指。
これを、
書類上の損益で割り切れるほど、自分は強くなかった。
それから3年。
私は、本業を続けながら、
副業のAmazon物販で得たEC運営のノウハウを、
家業に注ぎ込み続けた。
最初は、何もうまくいかなかった。
職人さんたちは、
「親父さんなら、こんなことしなかった」と、何度も言った。
そのたびに、私は、
東京と地方を行き来しながら、
夜中に一人で工房の床に座って、
「父なら、どうしただろう」と考え続けた。
3年目の冬、
最初のオンライン売上が、職人さんたちの月給を超えた日があった。
その夜、親方が、
工房の隅で、ひとり、お酒を呑んでいた。
私が声をかけると、
「親父さん、たぶん、空でほっとしてはるわ」
そう、ぽつりと言った。
借金は、まだ完済していない。
たぶん、あと5年はかかる。
でも、もう、
「半分の借金」が、私を縛っているのではない。
父が、私に遺していったのは、借金ではなく、職人さんたちの3組の手だった。
それを、いま、
私は、AI時代の道具で守ろうとしている。
ChatGPTで商品紹介文を書く。
Claudeで海外バイヤーへの英文を整える。
AIで職人さんの動きをアーカイブする。
これは、伝統を壊すことじゃない。
伝統を、次の20年に渡すための、新しい竹刀 だ。
父は、たぶん、AIに触ったことはない。
でも、もし生きていたら、
私が夜中にClaudeに話しかけているのを見て、
「ようわからんけど、まあ、やってみい」
と、笑っていたと思う。
地方の老舗の三代目で、
家業を継ぐかどうか迷っている、あなたへ。
「半分の借金」は、
もしかしたら、
数字ではなく、
先代があなたに残した、最後の問いかけ かもしれません。
私は、その問いを受け取って、
3年が経ちました。
工房の音が、
いま、少しずつ、戻ってきています。

