「お父さんの包装紙、変える気か」
母は、湯のみを置いた手を、机から離さなかった。
その仕草が、議題のすべてを、表していた。
家業の工房を継いで、二年が経った頃の話だ。
父が遺した、小さな工房。
商品を包む、薄い和紙の包装紙。
父の代から、もう三十年近く、同じデザインを使っていた。
紺地に、控えめな家紋。
正直に言うと、古いと感じていた。
百貨店の催事に出ても、若いお客さんはまず手に取らない。
「センスが昭和」だと、若い販売員に陰で言われたこともあった。
だから、リニューアルを提案した。
その日の夕食の後、ちゃぶ台の上で。
——
ノートパソコンを開いて、AIで作らせた新しいデザイン案を、十枚並べた。
シンプルで、白を基調にした、今っぽいやつ。
「これなら、二十代も三十代も、手に取ってくれると思う」
そう言った瞬間、母の顔から、表情が消えた。
職人歴四十年の、長老の職人さんも、隣で湯のみを見つめていた。
何も言わない。
ただ、ふっと、息を吐いた。
その「ふっ」が、刺さった。
母が、口を開いた。
「あんた、これ、お父さんがどんな思いで決めたか、知っとるんか」
知らなかった。
——
父は、無口な人だった。
家のことも、商売のことも、ほとんど話さなかった。
包装紙のデザインを決めた経緯なんて、聞いたこともない。
「お父さんは、お祖父さんの代の派手な包装紙を、捨てたんよ」
母が、ぽつぽつと話し始めた。
「うちの工房は、目立つ商売やない。
控えめに、長く使ってもらう商売や。
そう言うて、わざわざ地味にしたんよ」
知らなかった。
父は、ただ古いものを使い続けていたのではなかった。
父なりに、一度「変えた」人だったのだ。
——
正直、ムッとした。
「いやでも、時代が違うやろ」
「今のままじゃ、十年後、確実に売れんようになる」
「データもある。若い世代は、和紙の風合いを敬遠する傾向がある」
そう、畳みかけた。
経営者の理屈としては、間違っていないと思う。
実際、売上は緩やかに、しかし確実に、下がっていた。
このまま座っていれば、工房は、十年もたない。
それは、数字を見ている自分にしか、見えていない景色だった。
でも、母は譲らなかった。
「変えたらええ。
ただし、お父さんの紺は、残してくれ」
長老の職人さんも、ようやく口を開いた。
「坊ちゃん。
うちの和紙はな、あの紺色に合うように、染料を調整してきたんですわ」
その一言で、急に、自分の足元が崩れた気がした。
——
家族会議は、三時間続いた。
途中で何度か、お茶を入れ直した。
議論の終盤、ふと、自分の手元のAIデザイン案を見た。
白を基調にした、洒落た包装紙。
きれいだった。
でも、これは「うちの包装紙」じゃなかった。
どこの工房の包装紙でも、ありえた。
ボタンひとつで、似たようなものが、無数に出てくる。
その時、急に、自分の本心に気づいた。
自分が変えたかったのは、包装紙のデザインじゃなかった。
「父の影」だったんじゃないか。
——
工房に立つと、いまだに、父がそこにいる気がする。
職人さんは「お父さんはこうしてた」と言う。
母は「お父さんなら、こう言うやろな」と言う。
取引先の老主人も「お父さんの代から世話になっとる」と言う。
自分がいくら頑張っても、「お父さんの息子」のままだった。
そこから、抜け出したかった。
包装紙を変えれば、自分の代になる、という気がしていた。
数字の話をしていたつもりで、本当は、自分のコンプレックスの話をしていた。
それに、気づいてしまった。
——
落としどころは、こうなった。
父の代の紺色と、家紋の位置は、九割そのまま残す。
ブランドロゴの書体だけ、少しだけ、現代的にする。
下に、ほとんど見えないくらいの細さで、屋号の英字を入れる。
それを、AIに何十パターンも作らせて、家族三人で選んだ。
結果として、お客さんの大半は「変わったことに気づかない」レベルの変更になった。
でも、若い販売員が、ぽろっと言った。
「あれ、なんか、最近この包装紙、ちょっと洒落てません?」
それで、十分だった。
——
AIで、デザイン案は無数に作れる時代になった。
ChatGPTでも、Claudeでも、画像生成AIでも、夜中に一人で、いくらでも作れる。
正直、便利だ。
家業を継いだ後継者の多くが、これでブランドを刷新している。
でも、最近、思うことがある。
「無数に作れる」からこそ、「どれを選ぶか」が、重い。
そして、それを「誰と選ぶか」は、もっと重い。
一人で決めて、一人で変えたものは、一人で背負うことになる。
家族と職人さんと、三時間かけて選んだものは、みんなで背負える。
工房みたいな小さな商売は、これが、けっこう大きい。
——
人事の仕事でも、似たようなことを感じる。
AIで、評価制度のドラフトも、就業規則の改定案も、一晩で出てくる。
それを、社長に「これでどうですか」と出すのは、簡単になった。
でも、現場の課長たちと、三時間かけて議論して決めた制度のほうが、結局、長持ちする。
AIで作る時間は、十分の一になった。
その分、議論する時間を、増やせばいい。
それが、これからの「変え方」なんじゃないか。
そう、思うようになった。
——
包装紙の話に戻る。
リニューアルから、一年が経った。
売上は、劇的には変わっていない。
緩やかに下がるトレンドが、緩やかに横ばいになった、くらいの話だ。
劇的なV字回復は、ない。
地方の小さな工房に、そんな魔法は起きない。
でも、母が、新しい包装紙を見ながら、ぽつりと言った日があった。
「お父さん、これなら、許してくれるかもしれんな」
その一言で、十分だった。
——
家業を継ぐと、つい、「変える」ことが目的になる。
自分の色を出したい。
父の影から、出たい。
その気持ちは、よく分かる。
でも、変えること自体が目的になっていないか、時々、自問したほうがいい。
何を残すか。
何を変えるか。
その優先順位を、家族や職人さんと一緒に決める時間こそが、たぶん、いちばん大事だ。
AIが、デザイン案を無数に出してくれる時代だからこそ、「みんなで選ぶ時間」が、価値になる。
包装紙は、ただの紙じゃなかった。
家族会議は、ただの口げんかじゃなかった。
何を残し、何を変えるかを、家族全員で確認する、小さな儀式だった。
そのことに、五十を過ぎてから、ようやく気づいた。
遅いといえば、遅い。
でも、気づけただけ、よかったと思っている。


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