比叡山で3日間、無言で過ごして気づいたこと

禅と精神性

比叡山の居士林に、

3日間、無言で過ごす研修がある。

スマホは没収。

会話は禁止。

食事も、お風呂も、無言。


入山初日、

正直に書く。

苦しかった。

50歳になって、これほど苦しい3日間は、久しぶりだった。


不便、というレベルじゃない。

朝4時に起こされる。

冬の山の空気は、肺に入った瞬間に、体の中まで冷やしてくる。

最初の坐禅は30分。

足が痺れる前に、心が痺れる。

「なぜ、こんなところに来てしまったのか」

そういう声が、頭の中で、ずっと鳴っている。


無言の食事も、辛かった。

お粥を食べながら、

茶碗の音、お箸の音、隣の人の咀嚼の音。

普段なら気にも留めない音が、

全部、自分に向かって聞こえてくる。

逃げ場がない、ということが、

こんなに精神的にしんどいとは、知らなかった。


転機は、2日目の朝だった。

坐禅を組みながら、

ふと、自分の呼吸の音が、

聞こえた。

50年生きてきて、

自分の呼吸を、ちゃんと聞いたのは、初めてだったかもしれない。


3日間、無言で過ごす中で、

私が気づいたことは、3つだった。

ひとつ目は、自分の中の「焦り」のリズムだ。

普段、私は、何かに追われていることに、気づいていなかった。

スマホを開く速度、メールを返す間隔、

会議で発言するタイミング。

全部、誰かのリズムに合わせて、動いていた。

無言の3日間で、

そのリズムが、一回、消えた。

消えてみて、初めて、

「自分が、いかに焦って生きていたか」が見えた。

ふたつ目は、相手の存在の重さだ。

会話ができないと、

代わりに、相手の表情、目線、座り方が、見える。

3日目には、

同じ部屋にいる人が、

いま、何を考えているか、

なんとなく、わかるようになった。

これは、超能力ではない。

ただ、

普段、私たちは、相手の言葉ばかり聞いて、存在そのものは見ていない のだ。

無言で過ごしてみて、

「人は、言葉の前に、存在そのもので何かを伝えている」と、

体で知った。

みっつ目は、作務(さむ)の力だ。

居士林では、毎朝、作務がある。

掃除、薪割り、廊下拭き。

無言のまま、ただ、手を動かす。

最初の朝、私は「面倒だ」と思っていた。

3日目の朝、

廊下を雑巾で拭きながら、

ふと、涙が出た。

「自分は、こんなに丁寧に、何かをやったことが、最近あっただろうか」

それを、雑巾を絞りながら、

ずっと、考えていた。


下山した瞬間、

世界の音が、大きすぎた。


新幹線のホームに立った時、

アナウンスの音、人の声、スマホの通知音。

それまで普通に過ごしていた音が、

全部、暴力的に感じた。


会社に戻って、

最初の会議で、

私は、自分の発言が、3割減っているのに気づいた。

無理に、ではない。

「いま、本当に話す必要があるか」を、

無言の3日間で、勝手に体が選別するようになっていた。


そして、これは、

AI時代の管理職に、いちばん必要な力 だと思う。


AIは、無限に喋る。

質問すれば、3秒で、長文の答えが返ってくる。

会議の議事録も、企画書も、メールも、

AIがどんどん埋めてくれる。

つまり、AI時代は、

「言葉が過剰になる時代」 だ。

その中で、上司が無闇に喋っていたら、

部下は、もう、誰の言葉も聞かなくなる。


AI時代に評価される管理職は、

たぶん、

「沈黙に耐えられる人」 だ。

会議で、答えが出るまで、黙って待てる人。

部下が言葉に詰まった時、

「で?」と急かさずに、3秒、待てる人。

その3秒の沈黙の重さを、

体で知っている人。


比叡山の3日間は、

その「3秒の沈黙」を、私の体に教えてくれた。


50代の管理職のあなたへ。

比叡山に行く必要はありません。

たぶん、自宅でできることもあります。

土曜の朝、スマホを家に置いて、

1時間だけ、無言で散歩してみてください。

呼吸の音と、自分の足音だけを、聞いてください。

それだけで、月曜日の会議で、

あなたの発言が、

3割減って、3倍重くなります


AI時代に、

「黙っていられる管理職」が、

会社に1人いるかどうかで、

組織の質は、たぶん、決まります。


比叡山の朝の鐘の音を、

私はいまも、たまに、思い出します。

それは、明日への合図でした。

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