土曜日の午後、街の小さな眼鏡店。
店員さんは、何も言わずに、老眼鏡のコーナーへ案内した。
そのまっすぐな案内が、なぜか、ありがたかった。
最初に違和感を覚えたのは、たぶん、半年くらい前だったと思う。
会社のメールを開いた瞬間、文字が、すこしだけ滲んだ。
気のせいか、と思って、目をこすった。
それでも、ぼんやりしていた。
続けて違和感が来たのは、若手と一緒にいるときだった。
スマホの画面を、自分だけ、無意識に少し離して持っていた。
それに気づいた瞬間、ハッとした。
たぶん、向かいの若手にも、見えていただろう。
人事を22年以上やっていると、人の小さな仕草には敏感になる。
逆に言えば、自分の仕草も、誰かに見られているということだ。
「あの部長、最近、スマホ離してるよね」
そう言われている自分を、想像してしまった。
決定打になったのは、ある夜の出来事だった。
夜、自宅で、書類を読んでいた。
スタンドの光を強くしても、文字が、ふわっと浮かない。
集中力の問題かと思って、コーヒーを淹れ直した。
それでも、滲んでいた。
「ああ、そういうことか」
声に出さずに、そう思った。
翌週末、出張先のついでに、あるショッピングモールの一角にある眼鏡店に入った。
行きつけの店ではなく、知り合いに会わない店を、無意識に選んでいたと思う。
知っている顔の前で、老眼鏡を買う姿は、まだ、見せたくなかった。
店に入ると、若い店員さんが、軽く会釈をした。
「老眼鏡を、見たいんですが」
そう言った自分の声が、思ったより、低く、平らだった。
照れも、自嘲も、なかった。
ただ、事務連絡のように、そう言った。
店員さんは、本当に、何も言わなかった。
「お似合いになると思いますよ」とか、
「最近は皆さん早いんですよ」とか、
そういう余計なフォローは、一切なかった。
スッと、奥のコーナーへ案内してくれた。
その無言が、ありがたかった。
慰められなくて、よかった。
「歳ですもんね」と笑われなくて、よかった。
並んでいる老眼鏡は、思っていたよりも、軽かった。
軽い度数のものから、順番に試した。
最初のひとつは、まだ、変化がよくわからなかった。
二つ目を掛けた瞬間、店内の値札が、急にくっきり浮かび上がった。
あ。
声が、出そうになった。
文字が、こんなに、はっきり見えるのか。
そういえば、ここ数年、世界は、ずっと、うっすら霞んでいたのかもしれない。
それを、霞んでいる、と自覚していなかっただけで。
鏡の中の自分を見た。
老眼鏡をかけた、知らないおじさんがいた。
いや、知っているおじさんだった。
毎朝、洗面所で見ている、あの顔だった。
ただ、レンズの中に収まると、少しだけ、別人に見えた。
そのとき、頭の中で、はっきり言葉になった。
「ああ、もう、若くないんだな」
不思議だった。
悲しくは、なかった。
悔しくも、なかった。
むしろ、ある種の安堵があった。
これまで、自分は、認めたくなかったんだと思う。
階段を二段飛ばしできなくなったこと。
夜更かしの翌日、まる一日、頭が動かないこと。
人の名前が、すぐに出てこないこと。
ぜんぶ、「たまたま」だと思い込もうとしていた。
でも、目だけは、ごまかせなかった。
目は、毎日使う。
毎日使うものが、毎日教えてくれていた。
「もう、違うよ」と。
その声を、ずっと、聞こえないふりをしていた。
老眼鏡を試着して、ようやく、その声に、こんにちは、と返事をした感じだった。
会計のとき、店員さんは、淡々と作業を進めた。
ケースに入れてくれた老眼鏡を受け取って、店を出た。
外に出ると、休日の人通りが、いつもより、少しだけ、はっきり見えた気がした。
気のせいかもしれない。
でも、たぶん、気のせいではなかった。
家に帰る道で、ふと、AIのことを考えた。
仕事柄、ここ数年、ChatGPTやClaudeを、毎日のように使っている。
人事の資料も、会議の論点整理も、ずいぶん助けてもらっている。
これからAIは、もっと進化していくだろう。
スマホをかざせば、視力をスキャンして、最適なレンズを瞬時に提案してくれる時代も来るはずだ。
でも、と思った。
AIには、たぶん、これは、できない。
「ああ、もう、若くないんだな」と、自分の中で、静かに言葉が降りてくる、あの瞬間。
あれだけは、誰にも、代行できない。
AIが、私の代わりに、私の老いを受け入れてくれることは、ない。
老いを認める、という作業は、本人にしかできない。
データでも、論理でも、最適化でもない。
ただ、自分の体が「もう違う」と告げてきたとき、それに「うん」とうなずく。
それだけのことだ。
でも、その「うん」が、なかなか言えない。
人事を長くやっていると、いろんな人の引き際を見てきた。
潔く認める人。
最後まで認めない人。
認めないまま、周囲が困っていく人。
どちらが偉い、という話ではない。
ただ、自分の体の声を、自分でちゃんと聞いている人は、
不思議と、まわりにも、優しかった。
老眼鏡は、降参の道具ではない。
たぶん、これは、次の自分を見るための道具なのだ。
これからの十年、二十年で、見たいものは、たくさんある。
部下が、自分の知らないやり方で成果を出すところ。
自分の子どもが、いつか、自分とは違う人生を選ぶところ。
AIが、人事という仕事を、どこまで変えていくのか、その行く先。
それを、ぼやけたまま見るのは、もったいない。
くっきり見るために、道具を借りる。
ただ、それだけのことだ。
家に着いて、買ったばかりの老眼鏡を、机の上に置いた。
ケースから出した瞬間、レンズが、夕方の光をすこし反射した。
その光が、思ったよりも、きれいだった。
歳をとるのは、悪いことばかりじゃないのかもしれない。
そう言い切るほど、まだ強くはない。
でも、悪いことばかりだ、とも、もう思わなくなった。
老眼鏡を初めて買った、あの土曜日の午後を、たぶん、自分はずっと忘れない。
新しい眼鏡をかけて、もう一度、世界を、少しだけくっきり、見直してみようと思う。


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