妻に「ありがとう」が言えなかった年月の重さ

50代の心境

「ありがとう」を、妻に、自分は、何回言っただろうか。

部下には、毎日言っている。

なのに、家では、ほとんど出てこなかった。

数えてみようとして、やめた。

たぶん、片手で足りる。

ここ数年で。

22年、人事をやってきた。

面接で2,000人を見てきた。

評価面談で、若手の肩を叩いて、「ありがとう、助かった」と笑える男だ。

その同じ口が、家では動かなかった。

別居して、何年か経つ。

最初は、向こうが悪い、と思っていた。

今は、そう思っていない。

思っていない、というより、思えなくなった、というのが正確だ。

「言わなくても伝わってる」

長いこと、そう思っていた。

正確に言うと、思っていた、ことにしていた。

朝起きて、味噌汁が出てくる。

ワイシャツがアイロンされている。

帰ってきたら、風呂が沸いている。

それを「ありがとう」と言わなかったのは、

伝わっていると信じていたからじゃない。

「言ったら、なんか負ける」気がしていたからだ。

何に負けるのか、自分でもよく分からない。

ただ、口にした瞬間、

自分が、支えられている側だと、認めることになる。

それが、嫌だった。

300人の社員を抱える会社で、それなりの役職に就いた男が、

家の中で「支えられている側」なんて、認められない。

格好悪い、と思っていた。

今思えば、いちばん格好悪いのは、

家族にお礼ひとつ言えない男の方だった。

人事の仕事をしていると、

「感謝を伝える文化を作りましょう」みたいな話を、よくする。

1on1で、サンクスカードで、ピアボーナスで。

研修資料に、平気で書いてきた。

「日常の小さなありがとうが、心理的安全性を作ります」と。

書きながら、家のことを、一度も思い浮かべなかった。

仕事のスライドに書く「ありがとう」と、

家で言うべき「ありがとう」は、

頭の中で、別の引き出しに入っていた。

たぶん、多くの男がそうだ。

会社で立派なことを言う人ほど、家では黙る。

会社の「ありがとう」は、

評価とか、関係構築とか、マネジメントの一部だ。

言うべき場面で、言うべき相手に、言うべき分だけ言う。

それは、技術だ。

家の「ありがとう」は、

技術じゃない。

自分の弱さを、認めることだ。

自分ひとりじゃ、ここまで来られなかった、と、

言葉にして、相手の前で、立つことだ。

それを、22年、避け続けた。

妻が出ていく前、何度か兆候はあった。

長いため息。

増えた外出。

こちらを見ない夜。

気づいていた、と思う。

気づいていたのに、向き合わなかった。

仕事を理由にした。

父の介護を理由にした。

家業のごたごたを理由にした。

理由なら、いくらでもあった。

50代の男に、理由がないわけがない。

でも、本当のところは、

向き合うのが、怖かっただけだ。

「最近、何かあった?」

そのひと言が、出なかった。

「いつもありがとう」

そのひと言も、出なかった。

出さないまま、季節が何度か変わって、

ある朝、彼女は出ていった。

引き止める言葉を、自分は持っていなかった。

22年、人事で言葉を扱ってきた男が、

いちばん大事な場面で、一語も持っていなかった。

別居して、しばらくしてから、AIに触れた。

50歳を過ぎてからだ。

仕事では、ずいぶん助けられた。

資料も、企画も、面談の想定問答も。

ある夜、酒を飲んで、ふと、打ち込んだ。

「妻への感謝の文章を書いてください」

数秒で、画面に文章が並んだ。

きれいな文章だった。

言葉の選び方も、ちょうどよかった。

泣ける感じも、ちゃんと、入っていた。

読みながら、

これを、自分が、22年かけて言えなかったのか、と思った。

AIは、3秒で書いた。

自分は、22年、書けなかった。

その差が、自分の人生の重さなんだろうな、と、

画面を見ながら、ぼんやり思った。

文章を、印刷した。

封筒に入れた。

切手も貼った。

そこまではやった。

ポストの前まで、行った。

投函できなかった。

AIが書いた文章を、自分の言葉として送るのは、

最後の最後で、

彼女に対して、失礼な気がした。

正確に言うと、

それすら、自分の弱さを誤魔化す道具にしたくなかった。

22年言えなかった男が、

AIに代弁してもらって、送って、それで何かを取り戻せるわけがない。

封筒は、家に持ち帰って、机の引き出しに入れた。

今も、そこにある。

AIの時代になって、

言葉を作るコストは、ほぼゼロになった。

感謝の文章も、謝罪の文章も、口説き文句も、

頼めば、3秒で出てくる。

だからこそ、

誰が、どんな顔で、その言葉を口にするのか、

そこだけが、残った。

文章の良し悪しじゃない。

タイミングの良し悪しでもない。

誰が、何年かけて、その言葉にたどり着いたのか。

それだけが、人間に残された価値だと、最近思う。

3秒で出てくる「ありがとう」と、

22年かけてようやく口にする「ありがとう」は、

同じ5文字でも、まったく違うものだ。

前者は、技術だ。

後者は、人生だ。

家族に対する言葉は、

ずっと、後者であるべきだった。

取り戻せない年月がある。

これは、本当のことだ。

50代になって、いちばんこたえるのは、

「もう間に合わない」ことが、現実に、いくつかある、と分かることだ。

両親の元気な顔。

子どもの小さい頃。

妻の、笑った顔。

時間は、巻き戻らない。

それでも、と思う。

引き出しの中の、出せなかった手紙。

あれを、書き直そうかと、最近、思っている。

AIには、頼まない。

下手な字でいい。

言い回しが、稚拙でもいい。

「あの頃、ありがとう、と言えなくて、すまなかった」

たぶん、それだけだ。

それだけを、自分の言葉で書く。

返事は、来ないかもしれない。

読んですらもらえない、かもしれない。

それでも、書く。

22年、言えなかった「ありがとう」は、もう、取り戻せない。

けれど、今日の「ありがとう」は、今日、言える。

明日のことは、分からない。

今日のことだけは、自分で決められる。

家族にお礼ひとつ言えなかった男が、

50を過ぎて、ようやくそれに気づいた、というだけの話だ。

遅すぎる、と笑われてもいい。

それでも、引き出しの封筒を、書き直すところから、

始めようと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました