なぜ早朝散歩を始めた管理職は、3ヶ月で人が変わるのか?

日常と仕事

朝5時半。

カッパを着て、雨の中、私は歩き始めた。

始めて3ヶ月の自分が、いちばん変わった——と、いまならわかる。

人事を22年やっていると、不思議な現象に何度も出会う。

ある日突然、「あ、この人、変わったな」と感じる管理職がいるのだ。

昇進したわけじゃない。

部署が変わったわけでもない。

子どもが大学に受かったとか、そんな目に見える話でもない。

でも、明らかに違う。

会議室に入ってきた瞬間の空気が、違う。

私はずっと、その「変化の正体」が何なのか、よくわからなかった。

役員研修で外部の先生に何かを習ったわけでもない。

本を読み込んだ形跡もない。

ただ、ある日からその人の言葉が、半拍ゆっくりになっている。

部下の話を遮らなくなっている。

会議で黙っている時間が、増えている。

しかも、その黙り方が「不機嫌」じゃなくて、「考えている」黙り方に変わっている。

ここ数年、その「変わった人たち」に、私はそれとなく聞いて回るようになった。

なにか始めましたか、と。

返ってくる答えが、見事に重なってきた。

「朝、歩いてるんですよ」

ジョギングじゃない。

ジムでもない。

ただ歩く。

それも、誰も起きていない時間に。

最初は偶然かと思った。

だが、何人聞いても同じ答えなので、これは現象だと思い直した。

しかも全員、判で押したように「3ヶ月くらいで、なんか変わった気がする」と言うのである。

私は懐疑的だった。

健康法の話なら、世にいくらでもある。

血圧が下がる、痩せる、よく眠れる、そんなのは知っている。

でも、私が見てきた「変わった管理職」たちは、痩せたから変わったんじゃない。

実際、見た目はそんなに変わっていない人も多い。

変わったのは、もっと内側の何かだ。

去年の秋、私は自分でも歩き始めた。

きっかけはたいしたことじゃない。

健康診断の数字が、もう一段悪くなっていた。

50代の数字としては、まあ、覚悟していたものではある。

でも妻と別居していたこともあって、夜の食事がコンビニ続きで、自分でもさすがにまずいと思っていた。

それで、夜にどうにかするのは無理だと判断して、朝に賭けた。

最初の3週間が、本当にしんどかった。

5時に起きるのが、ではない。

5時に起きて、何をしていいかわからない時間が、しんどかった。

歩いていると、頭の中が騒がしくなる。

昨日の会議で、あの部長に言い返せばよかった。

来週の人事案で、誰を、どこに置くか。

別居している妻に、どう連絡を入れるか。

入れない方がいいのか。

歩いているのに、走っているような頭の中だった。

雨の日もあった。

最初の雨の日、私は迷わずやめた。

「今日は無理だ」と自分に言い、布団に戻った。

そして次の雨の日も、やめた。

その次の雨の日、自分でも気がついた。

——これ、たぶんここでやめたら、二度と始まらない。

カッパを買いに行った。

ホームセンターで、いちばん安いのを買った。

雨の朝、カッパを着て外に出るのは、正直、屈辱に近い気分だった。

50を過ぎた男が、誰もいない道で、カッパを着て歩いている。

最初の数歩は、笑いそうになるくらいバカらしかった。

でも、5分歩いたら、どうでもよくなった。

雨音しか聞こえない。

携帯はポケットに入れたままにしている。

メールも、ニュースも、なにも来ない。

正確に言うと、来ているのだろうが、見ない。

そういう30分を、毎朝持つようになって、3ヶ月くらい経った頃。

部下から、「最近、部長、話しやすくなりましたよね」と言われた。

何が変わったのか、自分ではわからなかった。

でも、いま振り返るとわかる。

私は、頭の中で「自分と議論する時間」を、初めてまとまった量、確保したのだ。

会議でも、家でも、人と話している時間は「相手と議論」している。

机に向かっている時間は、「資料と議論」している。

スマホを見ている時間は、「世間と議論」している。

自分の頭の中で、自分だけで議論する時間が、人生からほとんど消えていたのだ。

それが、朝の30分で、戻ってきた。

歩いていると、最初は雑念で頭が騒がしい。

でも15分過ぎると、不思議と、本当に考えたいことが、勝手に浮き上がってくる。

なんであの部下にあんな言い方をしたのか。

なぜ自分は、あの会議で黙ってしまったのか。

別居している妻に、結局自分は何を言いたかったのか。

答えは出ない。

出ないが、考える。

その「答えが出ないことを考え続ける」時間が、人を変えるのだと、いまならわかる。

会議で半拍黙れるようになるのは、頭の中で半拍考える習慣がついているからだ。

部下の話を遮らなくなるのは、自分の中の声を聞く訓練ができているからだ。

逆に、続かなかった人もいる。

私のまわりで、「朝歩こうかな」と言って、2週間でやめた管理職を、何人も見た。

続いた人と、続かなかった人の差は、能力でも意志でもなかった。

雨の日に、一度でもカッパを着たかどうか、だった。

そう、たったそれだけ。

雨の日に休んでも、晴れた日に歩けばいい。

そう思った瞬間、「朝の散歩」は「天気が許せばやる予定」に格下げされる。

予定は、必ず流れる。

ここ最近は、AIに考えを整理してもらえる時代になった。

私もChatGPTやClaudeに、人事の悩みをぶつけることが増えた。

驚くほど整理してくれる。

ありがたい。

でも、ひとつ、はっきりと言えることがある。

AIに整理してもらった答えは、不思議と、自分の腹に落ちきらない。

正しいのは、わかる。

筋が通っているのも、わかる。

でも、それを部下の前で、自分の言葉として言える気がしない。

朝、歩きながら、答えの出ないことを30分考え続けた結論は、違う。

たどたどしくても、自分の言葉になる。

部下の前で、半拍黙ったあとに出てくる言葉になる。

AI時代だからこそ、AIに頼らず歩く30分が、いっそう効くようになったと思う。

外注できない領域が、はっきりしてきたのだ。

明日、30分だけ早く起きてみてほしい。

ジャージでいい。

スニーカーは、玄関にあるやつでいい。

天気予報は、見なくていい。

見ると、言い訳を探すから。

雨だったら、カッパを着て出る。

それだけ決めておけば、もう半分終わったようなものだ。

3ヶ月後、自分が変わったかどうかは、自分ではたぶんわからない。

でも、誰かが言ってくれる。

「最近、話しやすくなりましたよね」と。

その一言を聞くために、私たちはたぶん、明日の朝、外に出るのだ。

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