「部長、定年後ってどうされるんですか?」
若手の、無邪気な質問。
私は、3秒、答えられなかった。
金曜の夕方、会議室の片付けをしていた時のことだ。
入社3年目の彼が、椅子を運びながら、世間話のつもりで聞いてきた。
悪気はない。
ただ、定年が見えてきた上司に、ふと聞いてみたかっただけだろう。
答えは、用意してあった。
「写真でも撮りに行こうかな」
「副業をもう少し続けて」
「孫の面倒でもみるさ」
何度か飲み会で使ったセリフだ。
軽く笑って、場を流す、便利な答え。
でも、その日は、出てこなかった。
彼の目が、真っ直ぐすぎたのかもしれない。
夕日が窓から差し込んで、会議室がやけに静かだったせいかもしれない。
口を開きかけて、止めた。
「写真」も「副業」も「孫」も、全部、嘘だ。
正確には、嘘ではない。
でも、本気で言っているわけじゃない。
その場をしのぐための、上司らしい答えを並べているだけだ。
「……まだ、決めてないんだよ」
結局、そう言った。
彼は「あ、そうなんですね」と笑って、椅子を運んでいった。
たぶん、5秒で忘れたと思う。
でも、私は、その夜、眠れなかった。
###
定年まで、あと7年ある。
会社の規定では65歳まで再雇用、その先は嘱託で70歳までは働ける。
数字の上では、まだ時間はある。
でも、本当に何も決めていない。
正確に言うと、決められていない。
何度も考えようとして、その度に、思考が霧の中に消える。
妻とは別居して、もう3年になる。
子どもたちは、それぞれ独立した。
実家の親は、まだ元気だが、いつまでもつかわからない。
退職金の試算は、何度かしてある。
住宅ローンは、定年と同時に終わる予定だ。
数字は、そろっている。
でも、「で、どう生きるのか」という、その肝心なところが、空白のままだ。
###
なぜ、詰まったのか。
ここ数日、ずっと考えている。
若い頃は、「定年後」なんて、別の星の話だった。
50歳になったら、何かが見えてくるんだろうと、なんとなく思っていた。
40代で課長になり、部長になり、人事の責任者を任され、目の前の仕事に追われているうちに、気がつくと53になっていた。
「キャリアプラン」という言葉を、若手には何百回も話してきた。
5年後、10年後、どうなりたいか。
逆算して、今、何をするか。
人事の常套句だ。
だが、自分自身の「定年後プラン」は、ほとんど手つかずだ。
人事のプロが、自分のことになると、何も決められない。
これは、ちょっと笑える話だ。
笑えるが、笑っていられない。
###
同世代と飲むと、よく話題に出る。
「お前、定年後どうする?」
たいてい、ぼやけた答えが返ってくる。
「まあ、なんとかなるだろ」
「再雇用で食いつなぐよ」
「女房と旅行でも」
みんな、似たような顔をしている。
決まっていない、という顔だ。
一人だけ、はっきりしている男がいた。
去年早期退職して、田舎でカフェを始めた。
「俺は、やりたいことが見えてた」と笑っていた。
正直、羨ましかった。
そして、少し腹も立った。
腹が立つのは、自分が情けないからだ。
22年人事をやって、2000人面接してきて、人の人生について散々語ってきて、自分の人生は、空白のままだ。
###
この前、面白半分でAIに聞いてみた。
「50代男性、人事責任者、定年後の過ごし方を10個提案して」
10秒で、10個出てきた。
地域コミュニティへの貢献、人事コンサルとしての独立、農業への転身、執筆活動、若手のメンター、海外移住、資格取得、NPO、家業の継承、孫育て——。
どれも、もっともらしい。
どれも、ピンとこない。
AIは、優秀だ。
質問すれば、いくらでも選択肢を出してくれる。
だが、「お前は何がしたいのか」という問いだけは、外注できない。
これは、本当に、自分で考えるしかない問いだ。
若手なら、AIに聞けば、それなりに納得できる答えが返ってくるのかもしれない。
選択肢が広いからだ。
だが、50代の「定年後」は、選択肢の問題じゃない。
「自分が何者だったか」「これからどう生きたいか」という、もっと根っこの問題だ。
AIは、私の22年を知らない。
別居している妻のことも、子どもたちが小さかった頃の顔も、最初に採用した社員が辞めていった時の悔しさも、知らない。
そこを土台にした答えは、自分でしか出せない。
###
答えに詰まった夜、私は、ノートを引っ張り出した。
人事の研修で、若手によく書かせる、あのワークシートだ。
「これまでで一番、夢中になった瞬間は?」
「他人に感謝された経験は?」
「金にならなくてもやりたいことは?」
若手にやらせるのは簡単だ。
自分でやってみると、ペンが止まる。
何も書けない時間が、30分続いた。
やっと、ぽつぽつと、書けた。
採用した若手が、3年後に「あの時拾ってもらって、ありがとうございました」と言いに来た日のこと。
地域の祭りで、地元の年配の方々と話した時の、妙な居心地のよさ。
辞めていく社員に、夜中まで話を聞いた時の、疲れているのに満たされていた感覚。
全部、「人」が絡んでいる。
そして、全部、地味だ。
カフェにも、海外移住にも、なっていない。
でも、これが、私の手触りなのかもしれない。
###
若手の彼に、改めて伝えるつもりはない。
「この前の質問だけどさ」なんて持ち出したら、それこそ気持ち悪い上司だ。
ただ、次に同じことを聞かれたら、こう答えようと思う。
「正直、まだ決めてない。50過ぎて、こんなことを言うのは情けないけど、まだ考え中だ」
それでいい気がする。
若手の前で、立派な答えを並べるのが、人事責任者の仕事じゃない。
詰まる時は、詰まる。
決まらない時は、決まらない。
それを正直に言える方が、たぶん、よっぽど誠実だ。
###
答えに詰まれることは、恥ではない。
たぶん、まだ自分の人生を、考え直せる余地が残っている、ということだ。
全部決まっていて、迷いがなくて、すらすら答えられる50代の方が、もしかしたら、危ない。
決め切ったつもりで、何かを取りこぼしているかもしれない。
若手の無邪気な一言で、止まった3秒。
あの3秒は、自分にとって、たぶん意味のある時間だった。
決まっていない自分に、もう一度、向き合わされた時間だ。
定年まで、あと7年。
7年あれば、まだ書き換えられる。
7年あれば、まだ、自分の手触りを確かめ直せる。
答えは、まだ、ない。
ないままで、しばらく歩いてみようと思う。
霧の中を歩くのは、思っているほど、悪くない。

コメント