3ヶ月で、ほぼ半分の業務を、手作業に戻した。
「AI化、失敗でしたね」と笑う担当者の声が、忘れられない。
笑っていたが、目は笑っていなかった。
これは、私がよく知る、ある中堅企業の話だ。
地方のサービス業で、従業員は数百人規模。
数年前、人事システムを刷新し、AIによる業務効率化に踏み切った。
導入金額は、数百万円規模。
中小企業にとっては、決して小さくない投資だった。
経営トップは前向きだった。
「これからはAIだ」と、社内報にも書いた。
私もそのとき、同じ業界で人事を預かる立場として、ひそかに注目していた。
うちでも検討していたからだ。
導入したのは、評価コメントの定型化支援、勤怠データの異常検知、応募者の一次スクリーニング。
どれも、人事の現場で「時間を食う」と言われ続けてきた領域だ。
評価面談シーズンになると、管理職は何十人分ものコメントを書く。
「今期もよく頑張った」「来期はリーダーシップを期待する」。
似たような文章が、ずらりと並ぶ。
これをAIが下書きしてくれるなら、管理職の残業が減る。
勤怠も同じだ。
打刻漏れ、深夜残業の偏り、有給の取得バランス。
人間が目視で拾っていたものを、AIが自動でアラートを出す。
応募者の書類選考も、キーワードと経歴の整合性をAIが先にスコアリングしてくれる。
理屈の上では、夢のような話だった。
実際、最初の1ヶ月は、評判もよかった。
「楽になった」「夜の作業が早く終わる」。
そんな声が、現場から上がってきていたと聞いた。
異変は、2ヶ月目から始まった。
最初は、評価コメントだった。
AIが下書きした文章は、整っていた。
整いすぎていた。
「協調性があり、チームに良い影響を与えている」。
それは間違いではない。
ただ、その社員について、現場の課長が前年に書いたコメントには、こうあった。
「協調性はあるが、それは自分の意見を飲み込んでいるからではないか。今期、本人と一度向き合う必要がある」。
行間に、心配があった。
その心配が、AIの下書きからは、きれいに消えていた。
管理職たちは、AIの整った文章に少しだけ手を入れて、提出するようになった。
楽だったからだ。
そして気づいたときには、評価シートのなかから、「行間」が消えていた。
勤怠の異常検知も、同じ道をたどった。
AIは、数字の異常はちゃんと拾った。
連続勤務、深夜の偏り、休憩漏れ。
ロジック通りに、淡々とアラートを出す。
ただ、ベテランの労務担当者が「あれ?」と感じていたものは、拾えなかった。
たとえば、打刻時刻はきれいに揃っているのに、なぜか先月から少しずつ早朝出社が増えている若手。
数字としては「正常範囲」だ。
でも、ベテランは知っていた。
その部署で、上司が変わったこと。
その若手が、前の上司に懐いていたこと。
「数字が正常な人」のなかにこそ、危ない兆候はある。
それを拾っていたのは、システムではなく、人だった。
AIが「異常なし」と返すたび、担当者は、その人について考えるのをやめていった。
「機械が大丈夫と言っているから、大丈夫」。
そう思いたくなる。
人間は、そういう生き物だ。
応募者スクリーニングも、3ヶ月目に問題が表面化した。
AIのスコアが高い候補者を、優先的に面接する運用にしていた。
スコアは、過去の採用データから学んでいる。
つまり、「過去にうまくいった人」に似ている人が、高くなる。
地方の中堅サービス業で、過去にうまくいった人とは、誰か。
似たような学歴、似たような職歴、似たような志望動機の人だ。
ある日、人事部長がふと気づいた。
ここ3ヶ月の面接通過者の顔ぶれが、奇妙なほど揃っていた。
そして、AIスコアの低かった候補者のなかに、過去の自分なら「会ってみたい」と思った人が、何人もいた。
ベテラン人事の勘は、データ化されていなかった。
されないまま、AIに置き換えられていた。
3ヶ月目の終わり、その会社は決断した。
評価コメントのAI下書きは、廃止。
勤怠の異常検知は、参考情報として残すが、判断は人が行う。
応募者スクリーニングは、AIスコアを「見ない」運用に戻した。
数百万円かけた投資の、半分を、紙とExcelの世界に戻した格好だった。
経営会議は、荒れたと聞く。
「だったら、最初から入れるな」という声も出た。
担当者は、頭を下げ続けた。
「AI化、失敗でしたね」。
冒頭の、あの笑顔は、そのあとに見た顔だ。
ただ、私は、これを「失敗」とは思っていない。
正確に言えば、失敗の原因は、AIではなかった。
順番だった。
その会社は、AIを入れる前に、現場が拾っていた「行間」「違和感」「勘」を、一度も言語化しなかった。
暗黙知のまま、AIに渡そうとした。
AIは、言語化されていないものを学べない。
だから、表に出ている「整った部分」だけを、きれいに再現した。
整った部分だけが残り、行間が消えた。
それだけのことだった。
AI化の正しい順番は、たぶん、こうだ。
まず、ベテランが何を見ているのかを、半年かけて言葉にする。
「この社員のコメント、なぜ自分はこう書いたのか」。
「この勤怠データの、どこに違和感を覚えたのか」。
「この応募書類の、何が引っかかったのか」。
面倒くさい作業だ。
数字にもならない。
経営会議で「進捗」として報告しづらい。
でも、そこを飛ばすと、AI化は必ず、現場の知恵を吸い出さないまま、現場の動作だけを上書きしてしまう。
速さは、正義ではない。
少なくとも、人事のような仕事においては。
人事は、人を扱う仕事だ。
人は、データの外側で揺れている。
その揺れを見ていた人たちの目線を、まず言葉に変える。
それから、AIに渡す。
順番を、間違えない。
私自身、AI化を進めている当事者だ。
ChatGPTやClaudeに、人事の下書きを手伝ってもらう日々を、もう何年も続けている。
便利だ。
正直、もう戻れない。
でも、あの「3ヶ月で半分戻した会社」の話を、私は何度も思い出す。
便利さに飲まれそうになるとき、自分にこう問う。
「いま私は、行間を、AIに渡せているか」。
「現場が拾っている違和感を、ちゃんと言葉にしてから、入れているか」。
たいてい、できていない。
そのたびに、少しだけ手を止める。
戻すことは、失敗ではない。
戻せた、ということは、その会社の現場に、まだ「人の目」が生きていたという証拠だ。
AIに全部任せきっていたら、戻ることすらできなかった。
何かがおかしいと気づき、半分とはいえ手作業に戻す勇気を持てた組織は、たぶん、次のAI化ではうまくやる。
一度、痛い目を見たからだ。
その痛みは、暗黙知を言葉にする面倒くささに、耐える力に変わる。
AIを敵にする必要はない。
ただ、AIを入れる前に、自分たちが何を見てきたかを、一度ちゃんと書き出す。
それだけで、3ヶ月後の景色は、たぶん、ずいぶん違う。
「失敗でしたね」と笑った担当者は、いま、その作業を、社内で静かに進めているそうだ。
私は、その話を聞いたとき、少しだけ、ほっとした。


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