人事をやる前、
私は、冠婚葬祭業に10年いた。
葬式の受付に立つと、
その家族のすべてが、たぶん、見える 。
そしていま、人事の現場でも、
同じ観察眼が、効いている。
20代後半、
私はホテルの宴会部から、冠婚葬祭の現場に異動した。
最初の3年は、結婚式の担当。
そのあとの7年が、葬儀の担当だった。
葬儀の現場には、
結婚式とはまったく違う、
「人間関係の真実」 が、
毎日、訪れていた。
葬式の受付に立つと、
3つのことが、見えてくる。
ひとつ目は、香典袋の置き方だ。
参列者は、受付に来て、
香典袋を、こちらに渡す。
このとき、
人によって、
置き方が、まったく違う 。
両手で、丁寧に、受付台の中央に置く人。
片手で、サッと、脇に置く人。
香典袋を、最後の最後まで、自分の手のひらで包んでいる人。
これは、
**「故人との関係性の深さ」を、
参列者本人が、無意識に、所作で示している** 。
両手で丁寧に置く人は、
たいてい、故人と本気で関わっていた人だ。
仕事の同僚として、家族として、友人として、
何かを共有していた時間が、長かった人。
片手でサッと置く人は、
たいてい、義理で来た人だ。
これは、間違いなく、見える。
そして、私が人事の現場で見ている、
「採用面接での履歴書の手渡し方」 と、
これが、ほぼ同じ構造をしている。
両手で履歴書を渡す人と、
片手でサッと渡す人。
その3秒で、その人の「他人との距離の取り方」が、出る。
ふたつ目は、喪主以外の家族の立ち位置だ。
葬儀の控室で、
喪主は、たいてい、
参列者対応で、忙しい。
問題は、
喪主以外の家族が、控室のどこに立っているか だ。
兄弟姉妹、配偶者、子ども。
家族の絆が深い場合、
喪主の周りに、自然に、家族が集まる。
何も言わなくても、
控室の中央に、家族の塊が、できる。
ところが、
家族の関係に、もつれがある場合、
控室の四隅に、家族が、ばらばらに、立つ。
私は、控室に入った瞬間、
家族の「空間配置」を、3秒で見る癖がある。
そして、
組織の現場でも、
会議室での、社員の座り位置で、
ほぼ同じことを、見ている。
役員の周りに、自然に、社員が集まる会社は、強い。
役員の周りに、誰も近づかない会社は、
たぶん、半年以内に、どこかが、緩む。
みっつ目は、親族からの挨拶の温度だ。
葬儀の最後、
親族代表が、参列者に挨拶する。
このときの、
親族代表の声の温度 が、
その家族の、これからを、決める。
声に張りがあって、
故人のことを、ちゃんと自分の言葉で語れる代表がいる家族は、
これからも、続く。
声が、定型文だけで、
「皆様には、生前」「ご厚情を」のテンプレートしか出てこない代表の家族は、
たぶん、
故人の死後、家族がばらばらになっていく 。
これは、10年で、何度も見た。
そして、
組織の中で、退職者が出た時の、
部長クラスの「お別れの言葉」も、
同じ構造をしている。
定型文しか言えない部長の下では、
退職者が、加速度的に増えていく。
冠婚葬祭の現場から、
人事の現場に移って、
私が、いちばん強く感じるのは、
「組織は、葬式の控室と、まったく同じ構造をしている」
ということだ。
平時には、それが、見えない。
何かが起きたときに、
たとえば、
部長が辞めたとき、
会社が業績悪化したとき、
リストラが発表されたとき、
**「控室の四隅に、家族が散らばる」のと、同じ現象が、
会社の各部署で、起きる**。
その時に、
「中央に集まる組織」を作れていたかどうかが、
経営者の、
最後の試験 だ。
そしてAI時代になって、これは、もっと顕著になる。
AIで、業務はどんどん効率化される。
人と人との「実際の距離」は、
リモートワークやSlackで、ますます、開いていく。
つまり、
**「組織の空間配置」は、
意識して作らないと、自然には、生まれない時代** になる。
定型文の挨拶も、AIが書いてくれる。
社内報も、AIが作ってくれる。
それを使うこと自体は、何も悪くない。
ただ、
**「親族代表の、声の温度」を、
AIが、代替できるかどうか** 。
これが、
AI時代の経営者の、
たぶん、最後の宿題だ。
50代の経営者のあなたへ。
部下の退職時に、
定型文ではなく、
自分の言葉で、声の温度を込めた挨拶 を、
10秒でいいので、贈ってください。
それが、
組織の四隅に、
社員がばらばらに散るのを、防ぐ、
唯一の方法です。
葬式の受付に10年立った私からの、
人間関係の縮図についての報告 です。
AI時代こそ、
「冠婚葬祭の作法」を、もう一度、組織に持ち込むべき だと、
私は、本気で、思っています。
香典袋の置き方を、
両手で、丁寧に、
していた人の表情を、
私は、いまも、覚えています。
そして、
その表情が、
組織のいちばん大事な「中央」を、
作っているのです。

