「板挟みでもう限界です」
そう言って、ある課長が私の前に座った。
顔色は悪い。だが、目には、まだ力が残っていた。
私はその目を見て、内心、こう思った。
——この人は、まだ大丈夫だ。
冷たく聞こえるかもしれない。
でも、22年人事をやってきて、私はひとつだけ確信していることがある。
「板挟みがつらい」と言えるうちは、まだ救いがある、ということだ。
本当の地獄は、その、もっと先にある。
板挟みは、つらい。それは本当だ。
誤解しないでほしい。
板挟みを軽く見ているわけではない。
上司は数字を詰めてくる。
「来期はあと10%、なんとかしろ」と。
部下は目を伏せて言う。
「これ以上は、もう無理です」と。
その真ん中で、課長は立っている。
どちらの言い分も、わかってしまう。
経営の都合も、現場の疲れも、両方見えてしまう。
見えるから、苦しい。
役員会で詰められた翌朝、課長は会社のトイレで一度深呼吸をしてから、フロアに出ていく。
そして部下の前では、何事もなかったような顔をつくる。
「おはよう」と、いつもより少し明るい声で。
その声の作り方を、私も知っている。
私自身、長く課長をやってきたからだ。
板挟みはつらい。
それは、まぎれもない事実だ。
だが、つらいということは、まだ「真ん中」にいるということ
ここからが、今日いちばん伝えたいことだ。
板挟みになる、ということは、何を意味するか。
上が、あなたに数字を言ってくる。
それは、上が「こいつなら何とかするだろう」と当てにしている、ということだ。
下が、あなたに弱音を吐く。
それは、下が「この人になら言える」と思っている、ということだ。
つまり板挟みとは——
上からも下からも、まだ必要とされている状態のことだ。
苦しいけれど、あなたはまだ、組織の真ん中にいる。
両方から引っ張られているうちは、両方とつながっている。
引っ張られる痛みは、つながっている証拠でもある。
これは慰めで言っているのではない。
その逆を、私は何度も見てきたからだ。
私が見た、本当の地獄
板挟みの、その先がある。
ある50代の課長が、いた。
数年前まで、彼は典型的な板挟み課長だった。
部長と若手の間で、すり減っていた。
愚痴も、よく私に聞かせてくれた。
ところが、ある時期から、彼の愚痴が、ぱたりと止んだ。
私は最初、「楽になったのかな」と思った。
違った。
部長は、いつの間にか彼の頭ごしに、若手へ直接指示を出すようになっていた。
若手も、相談ごとを彼ではなく、別の先輩に持っていくようになっていた。
会議で、彼はもう詰められない。
詰められないかわりに、意見も求められない。
席にはいる。
だが、誰も彼を経由しなくなっていた。
板挟みですら、なくなっていた。
これが、本当の地獄だ。
つらくない。
ぶつかってこない。
ただ、静かに、外されていく。
ある日、彼が私にぽつりと言った言葉を、今も覚えている。
「最近ね、誰も私に怒らなくなったんですよ」
それは、楽になった人の声ではなかった。
行き場をなくした人の声だった。
板挟みでもがいていた頃の彼のほうが、まだ、ずっと生きていた。
なぜ、人は静かに外されるのか
なぜ、こういうことが起きるのか。
中間管理職が外されるのは、たいてい「能力が落ちたから」ではない。
「面倒だと思われたから」だ。
上に何かを言えば、渋い顔をされる。
下に何かを頼めば、ため息をつかれる。
それが続くと、人は無意識にこう学習する。
——この人を通すと、話が重くなる。
そして、少しずつ、彼を迂回する道ができていく。
悪気はない。
ただ、楽なほうへ、流れていくだけだ。
外しているほうに、自覚はない。
外されているほうだけが、ある日、気づく。
「あれ、最近、私のところに何も来ないな」と。
板挟みを「つらい、つらい」と言い続けて、上にも下にも顔をしかめ続けた人ほど、この道を通りやすい。
つらさを口にすること自体は、悪くない。
だが、つらさだけを撒き散らす人は、いつか、避けられる。
ここは、はっきり書いておきたい。
AIの時代、中間管理職に残るもの
最近、若い経営者にこう言われた。
「指示を伝えるだけの管理職は、もういらない時代ですよね」
半分は、当たっている。
「これを、いつまでに、こうやって」。
その手の指示の伝達は、これからどんどんAIやツールが担う。
数字の集計も、進捗の管理も、機械のほうが速いし、正確だ。
伝書鳩のような中間管理職は、たしかに、要らなくなる。
では、何が残るのか。
ふたつだと、私は思っている。
ひとつは、翻訳だ。
経営の言葉を、現場が動ける言葉に直す。
現場の本音を、経営が聞ける言葉に直す。
「10%上げろ」を、「ここをこう変えれば手が届く」に翻訳する。
これは、感情と事情の両方がわかる人間にしか、できない。
もうひとつは、覚悟だ。
決めたことの責任を、自分の名前で引き受けること。
うまくいかなかったとき、「上がそう言ったので」と逃げないこと。
AIは、翻訳の下書きはできる。
だが、覚悟は背負えない。
板挟みのなかで「両方の言い分がわかる」と苦しんでいるあなたは、実は、その翻訳と覚悟の真っ最中にいる。
それは、これからの時代に、いちばん消えにくい仕事だ。
板挟みの渦中にいる、あなたへ
だから、もし今あなたが板挟みでつらいなら。
そのつらさを、否定しなくていい。
でも、ひとつだけ覚えておいてほしい。
そのつらさは、「まだ必要とされている人」だけが味わえる、つらさだ。
上からの圧も、下からの不満も、あなたを通っている。
通っているうちは、あなたは組織の血管だ。
血管は、流れるから痛い。
詰まれば、痛みすら感じなくなる。
だから、つらさを撒き散らすのではなく、翻訳してみてほしい。
上の言葉を、下が動ける形に。
下の声を、上が聞ける形に。
それをやれる人は、外されない。
外すには、惜しすぎるからだ。
板挟みは、ゴールではない。
地獄でもない。
それは、あなたがまだ、両側とつながっているという、しんどい知らせだ。
つながっているうちは、まだ、いくらでもやり直せる。
トイレで深呼吸して、フロアに出る、あの朝の数秒。
あれは、逃げの時間ではない。
両側の言葉を、もう一度、自分のなかで翻訳しなおすための、大事な数秒だ。
そう思えたら、あの数秒は、少しだけ意味を変える。
つらいあなたは、まだ、ちゃんと真ん中に立っている。
それは、悪くない場所だ。

