評価面談で泣いた部下に、何も言えなかった ―40代人事の正直な記録

人事・組織

部下が泣いた。

評価面談の、机をはさんだ向かい側で。

そして私は、何も言えなかった。

その日のことを、私はたぶん一生忘れない。

会議室の小さな丸時計が、やけに大きく鳴っていた。

カチ、カチ、カチ。

部下の手元には、評価シートが一枚。

そこに書いてある数字を、私が読み上げたあとだった。


評価制度というものを、私は22年やってきた。

評価シートを作り、面談をし、等級を決め、賞与に反映させる。

何百回もやってきた。

たぶん、面談だけで千回は超えている。

慣れているはずだった。

数字を伝えるのは、仕事だ。

良い数字も、悪い数字も、淡々と伝える。

それが人事の仕事だと思っていた。

だからその日も、いつも通りのつもりだった。

彼女は40代。

うちのホテル部門で、もう15年働いている。

遅刻はしない。

裏方の仕事を、文句ひとつ言わずやる人だった。

新人が入れば、誰よりも先に声をかける。

クレームで荒れた現場を、最後まで片づけて帰る。

そういう人だった。

でも、評価は伸びなかった。


評価シートには、項目がある。

「目標達成度」「業績貢献」「リーダーシップ」。

数字で測れるものが、ずらりと並んでいる。

彼女の点数は、真ん中より少し下だった。

理由は、わかっていた。

彼女は、数字を取ってくる仕事をしていない。

売上の柱になる仕事は、若い男性社員が持っている。

彼女がやっているのは、その人たちが気持ちよく働くための、土台の仕事だ。

新人を育てる。

現場の空気を整える。

誰も拾わない雑用を、黙って拾う。

それは、評価シートのどこにも、点数になって載らない。

「期待等級に対して、達成度がやや不足しています」

私は、そう読み上げた。

制度の言葉で。

正しい言葉で。

そのとき、彼女の目から、すっと涙が落ちた。

声は出さなかった。

ただ、シートを見つめたまま、涙だけが落ちた。


私は、何も言えなかった。

「もっと頑張れ」とは言えなかった。

彼女は、もう十分に頑張っていたから。

「来年に期待してる」とも言えなかった。

来年も、この評価制度では、たぶん同じ結果になるから。

慰めの言葉が、ひとつも見つからなかった。

評価制度の言葉では、彼女の涙に、何ひとつ返せなかった。

等級。

達成度。

期待値。

そのどれも、彼女がこの15年でやってきたことを、すくい上げられなかった。

会議室には、時計の音だけが残った。

カチ、カチ、カチ。

私は、その音をただ聞いていた。


なぜ、こういうことが起きるのか。

評価制度が悪いから、ではない。

私はそうは思わない。

制度がなければ、評価はもっと不公平になる。

声の大きい人、上司に気に入られる人ばかりが得をする。

制度は、それを少しでも防ぐためにある。

でも、制度には限界がある。

評価制度は、「測れるもの」しか測れない。

これが、限界のすべてだ。

売上は測れる。

達成率は測れる。

遅刻の回数も測れる。

でも、努力は測れない。

誠実さは測れない。

「あの人がいると現場が落ち着く」という、あの感覚は測れない。

新人が辞めずに済んだのは、彼女が毎朝声をかけていたからだ。

でも、その新人が辞めなかったことは、彼女の点数には一円も入らない。

辞めなかった、という事実は、データにならないから。

起きなかったことは、評価できない。

評価制度は、起きたことしか見られない。

数字に出ない貢献は、構造的に、評価から落ちる。

努力も、誠実さも、その「落ちるもの」の中にある。


ここに、AIの話を重ねたい。

いま、AIで人事評価をする、という流れがある。

勤怠データ。

業績データ。

面談の記録。

それをAIが読み込んで、評価をはじき出す。

公平で、速くて、ブレない。

たしかに、魅力的に聞こえる。

でも、私は冷静に考える。

AIが得意なのは、データになっているものを処理することだ。

つまり、「数値化できるもの」を、さらに前に押し出す。

売上は、もっとくっきり評価される。

達成率も、もっと正確に反映される。

それは、いい。

問題は、その裏側だ。

数字に出ない努力は、どうなるか。

AIは、入っていないデータを評価できない。

彼女が毎朝かけた「おはよう」は、どこにもデータとして残っていない。

だから、AIにとって、それは存在しないのと同じだ。

AIが進むほど、測れるものは、もっと見えるようになる。

そして、測れないものは、もっと見えなくなる。

その差は、これから開いていく。


では、どうすればいいのか。

私は、評価制度をなくせ、とは言わない。

AIを使うな、とも言わない。

制度もAIも、使えばいい。

測れるものは、どんどん測ればいい。

そのほうが、公平だ。

問題は、そこから先だ。

数字に表れない努力を、誰が見るのか。

それは、AIには、できない。

制度にも、できない。

人間にしか、できない。

これが、AI時代に人間に残された問いだと、私は思っている。

評価する力ではない。

計算する力でもない。

「数字にならないものを、見ている」という力。

それだけが、人間の側に残る。

そして、それは、想像以上に重い仕事だ。

毎朝、現場を歩く。

誰が、どんな顔をしているか見る。

誰が、誰のために動いているか覚えておく。

データには残らないことを、自分の記憶に刻んでおく。

地味な仕事だ。

でも、これからは、これが管理職のいちばん大事な仕事になる。


あの面談から、しばらく経った。

私は、彼女にちゃんと伝えられなかったことを、ずっと引きずっていた。

ある日、現場の廊下で、彼女とすれ違った。

私は、立ち止まって、こう言った。

「評価シートには、うまく書けなかった。あれは、私の力不足だ」

そして、続けた。

「でも、君が新人にどれだけ声をかけてきたか、現場をどれだけ支えてきたか。それは、ちゃんと見ていた」

うまい言葉では、なかった。

遅すぎた言葉でも、あった。

彼女は、少しだけ笑った。

「見ていてくれたんですね」

それだけ言って、現場に戻っていった。


評価は、できない。

評価制度では、彼女の努力を点数にできない。

AIにも、たぶん、できない。

それは、認めるしかない。

人事をやってきて、これは無力だと、はっきり思う。

でも、ひとつだけ、できることがある。

「見ていた」と、伝えることだ。

評価はできなくても。

数字にはできなくても。

「私は、あなたを見ていた」

その一言なら、人間にしか言えないし、人間なら、言える。

評価面談の机の上には、これからも、シートと数字が並ぶだろう。

時計の音が、また鳴る日も来るだろう。

それでも私は、現場を歩く。

数字にならない誰かを、見ているために。

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