父が亡くなって、3年経った。
工房の奥の、父の机だけは、ずっと触れずにいた。
その日、ようやく、引き出しを開けた。
家業の小さな工房を継いだのは、父が倒れた翌年だった。
会社の人事の仕事を続けながら、夜と週末に工房へ通う生活。
正直に言えば、継ぐつもりはなかった。
職人の世界は、わたしには向いていないと思っていた。
でも、父が遺した工房を、他人に渡すのは、どうしてもできなかった。
それだけの理由だ。
継いでから、3年間、わたしはあちこちを片付けた。
帳簿を整理し、取引先に挨拶に回り、古い在庫を棚卸しした。
職人だった父の代の番頭さんに頭を下げて、教えてもらいながら回した。
外から見れば、もう「自分が継いだ」状態になっていた。
書類の上では、社長はわたしだった。
でも、奥の部屋の、あの机だけは、片付けられなかった。
父の机は、工房の一番奥、窓のない小部屋にあった。
木の天板は、何十年分の墨と漆で黒くなっていて、角は丸く擦り切れていた。
電話と、湯呑みと、老眼鏡と、めくれたカレンダーが、父が倒れた日のまま置いてあった。
そこだけ、時間が止まっていた。
なぜ片付けられなかったのか。
理由は、自分でもよくわからなかった。
「いつかやらないとな」と思いながら、3年が過ぎた。
工房の人にも、家族にも、「あそこは触らないで」とは言わなかった。
でも、誰も触らなかった。
たぶん、みんな、わたしの顔色を見ていたのだと思う。
その日、何かのきっかけがあったわけではない。
朝、工房に来て、コーヒーを淹れて、ふっと「今日だな」と思った。
ただ、それだけだった。
軍手をはめて、段ボールを2つ用意して、小部屋に入った。
最初に開けたのは、一番上の引き出し。
ボールペンと、輪ゴムと、古い印鑑と、つぶれた飴。
どこの家にもあるような、なんでもないものだった。
正直、拍子抜けした。
「親父も、こんなものをためてたのか」と笑いそうになった。
二段目に、メモがあった。
万年筆の、父の字。
数字と、人の名前と、矢印が書いてある。
何かの計算らしいが、何を計算していたのか、もうわからない。
たぶん、20年前くらいの誰かの賃金の話だ。
その人の名前を、わたしは知っている。
もう辞めて、十年以上経つ職人さんだ。
三段目には、見覚えのない領収書が、輪ゴムで束ねてあった。
街の小料理屋の名前。
日付は、ばらばらの十数年分。
金額は、どれも数千円から、せいぜい一万円ちょっと。
これは、たぶん、誰かを連れて行った飲み代だ。
経費にも落とさず、自分のポケットから払った、誰かとの夜だ。
わたしは、その領収書を捨てられなかった。
捨てるべきものだ、と頭ではわかっていた。
でも、その紙の中に、わたしの知らない父の時間が詰まっていた。
20代の職人を連れて行ったのかもしれない。
取引先の番頭さんと、愚痴を言い合ったのかもしれない。
その夜、父は何を話したのだろう。
一番下の引き出しに、封筒があった。
宛名が書いてあって、切手が貼ってあって、封がしてあって、出されていなかった。
宛名は、父の古い友人だった。
もう亡くなっている人だ。
中身は、見なかった。
見ないまま、別の封筒に入れて、自分の机の引き出しにしまった。
たぶん、一生、開けない。
最後に、老眼鏡を手に取った。
父の老眼鏡は、レンズに細かい傷がいくつもあって、フレームの片方が少し歪んでいた。
これだけは、わたしの机に置こうと思った。
捨てるでも、しまうでもなく、目に入る場所に。
夕方には、机の上に何もなくなっていた。
ただの、古い木の机。
3年間、誰も座っていなかった椅子。
わたしは、その椅子に座ってみた。
座面は、父の体の形に少しへこんでいて、わたしの体には合わなかった。
でも、座れた。
そして、その瞬間に、初めて思った。
「これは、自分の机だ」と。
ふしぎな感覚だった。
書類の上では、3年前から、わたしが社長だった。
社員にも、取引先にも、「跡継ぎ」として認められていた。
でも、自分の中で「継いだ」と感じたのは、その日の夕方だった。
引き出しを空にして、椅子に座った、あの瞬間だった。
事業承継というのは、不思議なものだと思う。
判子を押せば、登記は変わる。
挨拶状を出せば、世間は認める。
帳簿を引き継げば、数字は動く。
でも、本人の中で「自分のもの」になるのは、それとはまったく別のタイミングだ。
しかも、本人にもいつ来るかわからない。
いまの時代、書類のデジタル化なんて、AIで一瞬だ。
わたしも本業の人事では、紙の履歴書をスキャンして、AIに要約させている。
10年分の評価記録も、検索一発で出てくる。
判子も、印影も、ハンコレスでいい。
便利だ。本当に便利だ。
でも、人間には、「片付けるのに何年もかかる物」が残る。
父の机。
母の和箪笥。
祖父の道具箱。
亡くなった先輩の、職場のロッカー。
それらは、AIで処理できない。
スキャンしても、要約しても、意味が出てこない。
意味は、自分の手で引き出しを開けて、初めて出てくる。
正直に言う。
「片付ける」というのは、「捨てる」ことではなかった。
「自分の言葉で、もう一度、意味づける」ことだった。
メモも、領収書も、未投函の手紙も、老眼鏡も。
父が遺したそのままの意味では、もう動かない。
わたしが、わたしの言葉で、もう一度、意味を貼り直す作業だった。
そして、それが終わったときに、ようやく、自分の机になった。
後継者の知り合いから、たまに相談される。
「親父のものを、どこまで残すべきか、わからない」と。
「捨てたら、罰当たりな気がする」と。
「でも、残しておくのも、しんどい」と。
その気持ちは、よくわかる。
わたしも3年間、同じ部屋を見て見ぬふりをしてきた。
だから、ひとつだけ言える。
急がなくていい。
3年でも、5年でも、10年でもいい。
「今日だな」と思う日が、たぶん、来る。
来ない人もいるかもしれない。
それでも、責めなくていい。
事業承継のセミナーでは、株の話や、税金の話ばかり出る。
それは、もちろん大事だ。
でも、本当の最終章は、たぶん、机の引き出しの中にある。
そこには、AIにも、税理士にも、コンサルにも、片付けられないものが入っている。
それを片付けるのは、自分の手でしかできない。
父の老眼鏡は、いまもわたしの机の隅に置いてある。
仕事に詰まったとき、なんとなく目に入る。
父なら、どうしただろう、とは、もう、あまり思わない。
ただ、その傷だらけのレンズを見ると、少しだけ、肩の力が抜ける。
継ぐ、というのは、たぶん、こういうことの積み重ねだ。
判子でもなく、肩書きでもなく、引き出しを開ける勇気のことだ。
そして、開けたあとに、自分の言葉で意味を貼り直す作業のことだ。
その作業が終わったとき、机は、ようやく、自分のものになる。
もし、あなたの工房の奥にも、まだ触れていない机があるなら。
無理に、今日でなくていい。
でも、いつか、「今日だな」と思う朝が来る。
そのときは、軍手と、段ボールを、2つだけ用意してほしい。
それだけで、たぶん、足りる。


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