面接室で、その人は、ふと泣いた。
私は、何も言えなかった。
そして、採用を見送った——あの判断は、本当に正しかったのか。
もう、3年ほど前の話になる。
うちの会社は、地方ではそこそこ名の知れた老舗の、サービス業だ。
毎年、数十人を新しく入れている。
私はそのほとんどの面接に、最終で立ち会う。
面接した人数は、たぶん2,000人を超えている。
その日も、ごく普通の面接だった。
20代の、女性だった。
経歴に、特別な傷があるわけではなかった。
でも、どこか、無理をしている感じがあった。
笑顔の作り方が、少しだけ、ぎこちなかった。
「前の会社を辞めた理由を、もう少し教えてください」
私は、いつも通り、そう聞いた。
聞かないわけにはいかない質問だ。
その人は、最初、淡々と話していた。
人間関係でうまくいかなかった、とか。
体調を少し崩した、とか。
ありふれた話だった。
でも、途中で、止まった。
言葉が、出てこなくなった。
そして、目から、涙がこぼれた。
声を上げて泣いたわけじゃない。
ただ、静かに、涙だけが流れた。
本人が、いちばん驚いていた。
「すみません、すみません」と、何度も言った。
面接室の空気が、止まった。
私は、ティッシュを差し出した。
「大丈夫ですよ、ゆっくりで」
そう言うのが、精一杯だった。
少し落ち着いてから、その人は、ぽつりと話し始めた。
家庭の事情のこと。
体のこと。
経済的に、追い詰められていること。
「とにかく、ちゃんと働きたいんです」
その言葉だけが、やけに耳に残った。
面接が終わったあと、私は、しばらく席を立てなかった。
採用担当の若い社員が、
「あの人、どうします?」と、小さな声で聞いてきた。
私は、「少し考えさせて」と言った。
本当は、その時点で、もう答えは出ていた。
——見送る、と。
でも、口に出すのが、嫌だった。
なぜ、見送ったのか。
理由は、いくつもある。
スキルが、うちの仕事に合っていなかった。
体調の不安が、はっきりと伝わってきた。
シフトの面で、続けられるか怪しかった。
そして、何より、
「同情で採った社員は、結局、続かない」
——その経験則が、私の中にあった。
過去に、似たケースで、私は何度か採ったことがある。
事情を聞いて、つい、手を差し伸べた。
「うちでなら、やれるかもしれない」
そう思って、迎え入れた。
でも、ほぼ全員、半年以内に辞めていった。
責められない。
事情を抱えたままの人にとって、
毎日働くということ自体が、想像以上に重い。
会社は、福祉施設ではない。
私は、それを何度も、思い知った。
だから、その日の判断は、私にとっては「経験則の結論」だった。
冷たい、と言われるかもしれない。
でも、現場を回す側からすれば、
採ってから辞めさせる方が、よっぽど残酷だ。
本人にも、現場の仲間にも。
——なのに。
それから、何年も経った今でも、
私は、あの面接室の光景を、
時々、ふと、思い出す。
あの人は、いま、どうしているだろう。
ちゃんと、働けているだろうか。
私が「ご縁がなかった」と伝えた、あの一通の不採用通知は、
あの人にとって、何だったのだろう。
私の判断は、組織としては、たぶん正しかった。
でも、その人の人生にとっては、どうだったのか。
それは、いまだに、わからない。
人事の仕事を長くやってきて、
ひとつ、はっきり言えることがある。
採用の判断には、本当の意味での「正解」は、ない。
採った人が活躍することもあれば、
採らなかった人が、よそで大化けすることもある。
そして、その答え合わせは、ほぼ、できない。
最近、AI採用、というものをよく見るようになった。
応募書類をAIが読んで、適性スコアを出す。
オンライン面接の表情や声を、AIが分析する。
「感情に左右されない、公正な採用」
それが、売り文句だ。
正直に言うと、
私は、それを、ちょっとだけ羨ましいと思った。
あの日、もしAIが、
「不採用」とだけ淡々と判定してくれていたら、
私は、こんなに長く、引きずらずに済んだのかもしれない。
でも、最近は、少し違うことを考えている。
AIは、たぶん、迷わない。
スコアを出して、終わりだ。
そこに、「あの人の涙」の重みは、入っていない。
人間の人事が、何年経っても判断を引きずるのは、
弱さではなく、
たぶん、まだ「人を見ている」ということだ。
感情で揺れない判断を、AIが請け負ってくれる時代が来るなら、
人間の側に残るのは、
「揺れること」そのものなのかもしれない。
数字にはならない、その揺れこそが、
これからの人事の、いちばん大事な仕事になる気がしている。
だから、最近、若い人事の子に、こう言うようになった。
「採用の判断で、ちゃんと迷いなさい」
「迷わなくなったら、たぶん、その仕事は終わりだから」
完璧な判断なんて、できない。
何年経っても、答えは出ない。
でも、問い続けることだけは、できる。
——あの人を、見送ってよかったのか。
——いや、見送るしかなかったのか。
——次に、似た人が来たとき、私は、何ができるだろう。
その問いを抱えたまま、
私は、また、面接室の椅子に座る。
たぶん、それでいい。
判断が完璧でないことを、
そのまま引き受けて生きていくのが、
人を見る仕事の、誠実さなのだと思う。
あの日泣いた人へ。
私は、あなたを採れなかった。
でも、忘れたことは、一度も、ない。
それだけは、伝わらないとしても、書いておきたかった。


コメント