AIが、それらしい答えを返してきた。
若手は「なるほど」と頷いた。
私は「これは違う」と、3秒で分かった。
この3秒の差は、何だろう。
考え続けている。
50代の同年代と話していると、こんな声をよく聞く。
「もうAIには勝てない」
「若い人は飲み込みが早い」
「俺たちの経験なんて、もう価値がないんじゃないか」
正直、私も一瞬そう思った。
ChatGPTに業務の悩みを投げた日のことを覚えている。
採用面接の評価軸について、AIは整然と5項目に整理して返してきた。
きれいだった。
きれいすぎた。
そして、現場では使えなかった。
なぜ使えなかったのか。
地方のサービス業の現場には、書かれていないルールがある。
たとえばホテルの中途採用で、私が見ているのは履歴書の経歴ではない。
その人が、駐車場から玄関までの30秒、どう歩いてくるか。
受付の女性に、どんな声をかけるか。
椅子に座る前に、上着をどう扱うか。
ここで、もう半分は決まっている。
これはAIには出てこない。
書かれた言葉になっていないからだ。
若手のスタッフが、AIに同じ質問をしたことがある。
「中途採用の面接で、何を見ればいいですか」
AIは答えた。
「コミュニケーション能力、論理的思考、価値観の一致、ストレス耐性、成長意欲」
若手は手帳にメモした。
正しい。
教科書としては、100点だ。
でも、これを基準に採った人は、半年で辞める。
なぜか。
地方の老舗企業で長く働ける人は、別の何かを持っているからだ。
「論理的思考」より、「身内のおばちゃんと長話ができる胆力」。
「成長意欲」より、「同じことを30年やる覚悟」。
これは、AIの学習データには、まず入っていない。
入っていても、薄い。
私が2,000人を面接してきた中で、いちばん怖いと思うのは、「正解っぽい答え」を信じてしまうことだ。
「正解っぽい答え」は、誰も傷つけない。
会議でも、上司にも、コンプラ的にも、安全だ。
だから通ってしまう。
通ってしまって、3年後にボディブローのように効いてくる。
採用ミスは、3年経ってから損失になる。
人件費だけで、1人あたり数百万。
教育コスト、現場の士気、辞めるときの引き継ぎ。
これを若手は、まだ見ていない。
見ていないから、AIの答えに「なるほど」と頷ける。
私が「これは違う」と3秒で分かるのは、過去に同じ顔で失敗した記憶があるからだ。
ただ、それだけ。
AI時代に、何が変わったのか。
「答えらしいもの」のコストが、ゼロになった。
これは大きい。
20年前なら、コンサルに何百万も払って手に入れていた整理された答えが、今は3秒で出る。
つまり、「答え」そのものの希少価値は、消えた。
では何が残るか。
3つだと思っている。
ひとつめ。
その答えが、現場で通じるかどうかを見抜く目。
AIは、平均的な日本企業の話をする。
私たちの会社は、平均ではない。
300人規模、地方、老舗、サービス業、家族経営の名残。
この5つが揃った会社の人事に、東京の大企業の正解は当たらない。
AIが出した答えに、「ここはうちでは通じない」と線を引けるのが、経験だ。
線を引けるだけで、もう価値がある。
ふたつめ。
正しい問いを立てる土台。
AIに「離職率を下げるには?」と聞いた若手は、5つの施策をもらってきた。
私はAIに、こう聞いた。
「30代女性で、入社3年目、繁忙期の宴会場担当、シフトが土日固定の人が、来月辞めると言い出した。引き止めるべきか、送り出すべきか」
返ってきた答えは、ぐっと深かった。
問いの解像度が、答えの解像度を決める。
そして、問いの解像度は、その現場をどれだけ見てきたかで決まる。
これは、若手にはまだ難しい。
経験者の独壇場だ。
みっつめ。
選択肢の中から「これだ」を選ぶ覚悟。
AIは選択肢を並べる。
並べるだけだ。
最後に「これでいきます」と決めるのは、人間しかいない。
決めた結果の責任を引き受けるのも、人間しかいない。
50代になると、この「決めて、責任を取る」という筋肉が、自然と太くなっている。
20代の頃に決めて、30代で結果を見て、40代で後悔して、50代でようやく腹をくくる。
このサイクルを2周も3周もしている。
AIには、これがない。
AIは責任を取れない。
取れないから、決められない。
決められない者の答えは、最後の一歩だけ、必ず人間が踏む。
「もう遅い」と思っている50代の方へ。
遅くない。
AIに勝とうとしなくていい。
勝つ必要がない。
AIを「整理が得意な若手の部下」だと思えばいい。
部下に資料を作らせて、こちらが判断する。
これは、私たちが20年やってきた仕事そのものだ。
道具が変わっただけ。
判断の構造は、変わっていない。
ひとつだけ、変わったことがある。
「答え」を覚えていることの価値が、下がった。
これは事実だ。
法律の条文も、業界の慣行も、過去の判例も、AIが瞬時に出す。
だから、「知識を持っている人」の価値は、確かに下がった。
でも、「現場で何が起きるかを知っている人」の価値は、下がっていない。
むしろ、上がっている。
なぜなら、AIの答えを評価できる人が、社内に足りないからだ。
今日、あなたが現場で見たもの。
新入社員の靴のかかとが潰れていたこと。
ベテランの返事が、いつもより半拍遅かったこと。
クレーム電話の後、相手が「ありがとう」と言ったときの声のトーン。
これは、AIが食えないデータだ。
書き起こされていないし、これからも書き起こされない。
このデータを、いちばん持っているのは、現場に長くいた人。
つまり、私たちだ。
経験は、AIに食わせる燃料ではない。
経験は、AIの答えを判断する、自分の中の物差しになる。
物差しが太く、長く、目盛りが細かいほど、AIは強力な味方になる。
物差しがない人にとっては、AIはただの「それっぽい答え製造機」だ。
明日も、現場に出る。
新しい顔と話し、古い顔と笑い、誰かを叱り、誰かを慰める。
その一つひとつが、目盛りになる。
50を過ぎてから刻む目盛りは、20代の頃より、深く、太い。
AI時代だからこそ、その目盛りが効く。
私はそう信じている。
少なくとも、今日の3秒の差を説明できるのは、それしかない。


コメント