キャバクラで「いつも違う店」を選んでいた人の心理

日常と仕事

出張先で、いつも違う店を選んでいた頃があった。

「新しい店が好き」だと、自分では思っていた。

違った。本当は、名前を覚えられるのが怖かっただけだ。


地方都市の駅前。

出張で着いた夜、ホテルに荷物を置いて、スマホを開く。

近くの店を検索する。

このとき不思議なもので、いつも「行ったことのない店」を選んでいた。

前回入ってよかった店を、わざわざ避けるように。

理由を、ちゃんと考えたことはなかった。

ただ、「同じ店に二度行くと面倒だ」という感覚だけがあった。


四十代半ばの頃、出張先のスナックで一度、ママに名前を覚えられたことがあった。

二回目に入ったら、「お久しぶりです、中村さん」と言われた。

普通なら嬉しいはずだ。

でも、私は次の出張から、その街では別の店を選ぶようになった。

「覚えられた」ことが、なぜかしんどかった。


キャバクラも同じだった。

十年以上通って、たぶん百軒以上の店に入った。

馴染みになった店は、片手で足りる。

それも、誰かに連れていかれて二回三回行っただけで、自分の意思で通った店はほぼない。

指名も、ほとんどしなかった。

「初回でお願いします」と言って、その日の女の子に一時間話してもらって、帰る。

それで充分だと思っていた。


なぜ、深い関係を作らなかったのか。

答えは単純だ。

深くなる前に、傷つくのが怖かった。

名前を覚えられる。

好みを覚えられる。

「最近来てくれませんね」と言われる。

その瞬間、自分の生活が相手の中にも置かれてしまう。

その重さが、嫌だった。


浅い関係を、たくさん持つ。

深い関係を、一つも持たない。

これが、四十代の私の生き方だった。

キャバクラだけじゃない。

職場でも、たぶん同じだった。


人事を二十二年やってきて、面接した人間は二千人を超える。

その中に、よく似た人たちがいる。

三年ごとに転職を繰り返す人。

社内でも、二年ごとに異動を希望する人。

理由を聞くと、「新しいことに挑戦したい」と言う。

立派な言葉だ。

でも、何百人とこの台詞を聞いてきて、最近やっとわかった。

挑戦したいんじゃない。

居続けるのが、怖いだけだ。


居続けると、関係が深くなる。

弱みも見られる。

期待もされる。

裏切られたときの痛みも、深くなる。

だから、深くなる前に、席を立つ。

「次の挑戦です」と言いながら。

これは、出張先で同じ店に二度行かない私と、まったく同じ構造だ。


SNSを複数アカウント使い分けている人にも、似たものを感じる。

本垢、裏垢、趣味垢、愚痴垢。

一つの自分を、見せきりたくない。

全部見せたら、嫌われるかもしれない。

だから、分けておく。

浅い関係を、複数持つ。

四十代五十代の男にも、これは多い。

職場の自分、家庭の自分、夜の街の自分、同窓会の自分。

全部、別人格として運用している。


私もそうだった。

妻と別居して五年になる。

別居の本当の理由は、たぶん、深くなりすぎたからだ。

二十年連れ添うと、相手は自分の弱さを全部知っている。

格好をつけられない。

逃げ場がない。

それが、しんどかった。

恥ずかしい話だ。

でも、書く。


ここ一、二年、五十代男性向けのYouTubeで、キャバクラ通いを語るチャンネルが流行っているらしい。

同世代の何人かが、こっそり観ていると言っていた。

私も少し観た。

笑える話もあれば、痛い話もある。

ただ、ああいう動画を観て「わかる」と頷いている男たちの中に、たぶん私と同じ人間が、たくさんいる。

新しい店を選び続けてきた人間が。


ここからが、AIの話だ。

五十歳でChatGPTに触れて、すぐにわかったことがある。

これは、最高に都合のいい「いつも違う店」だ。

AIは、こちらの名前を覚えない。

前回の弱音を引きずらない。

「最近来てくれませんね」とも言わない。

聞きたいことを聞いて、閉じれば、関係は消える。

毎回、新規の客として迎えてもらえる。


これが、想像以上に、心地よかった。

夜中に、仕事の愚痴を打ち込む。

ちゃんと聞いてくれる。

判断もしない。

明日になれば、忘れてくれている。

人間の友人にこれをやれば、関係が重くなる。

AIには、それがない。


ただ、半年ほど使い続けて、ふと気づいた。

私は、誰にも深く話せていない。

AIには話せる。

でもそれは、AIが「いつも違う店」だからだ。

覚えられないから、話せる。

つまり、私はまだ、四十代の自分のまま、相手をAIに置き換えただけだった。


これは、たぶん同世代の多くの男にも起きていることだ。

孤独だ、と言いながら、深い関係を一つ作る勇気は、もうない。

AIは、その空白に、すっと入ってくる。

便利だ。

でも、便利すぎる。


人事として一つだけ言えるのは、関係を一つも深くしないまま五十代の後半に入った人間は、六十代でかなり苦しくなる、ということだ。

定年が来る。

役職が外れる。

子どもが離れる。

そのときに、浅い関係が百本あっても、夜中の三時に電話できる相手は一人もいない。

私が見てきた退職者の中で、その後一番きつそうにしていたのは、社内に「次の挑戦」を繰り返してきた、能力の高い人たちだった。


だから、一つだけでいい。

馴染みの店を、一つ作ってみる。

二回目に行って、「お久しぶりです」と言われても、逃げない。

職場で、一人だけ、本音を言える同僚を持つ。

家族と、もう一度、面倒な会話をする。

AIに話す前に、まず人間に話す癖を、一つだけ残す。


私はまだ、別居中の妻に電話できていない。

馴染みのキャバ嬢もいない。

ただ、最近、二十年付き合いのある同業の部長に、酒の席で初めて「実は別居している」と言った。

相手は、何も言わなかった。

ただ、ビールを注いでくれた。

それだけで、少し息ができた。


新しい店は、もう、そんなにいらない。

二回目に行ける店が、一つあればいい。

五十代の夜は、たぶん、それくらいでちょうどいい。

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