「今月で、やめよう」
そう決めた夜が、もう何回あっただろう。
それでも翌朝、私はセラーセントラルを開いてしまう。
副業のAmazon物販を始めて、もう10年近くになる。
熊野筆の小さなブランドを立て直し、洗剤のOEMもやった。
年商は一番大きいときで2億を超えた。
会社員をやりながら、ここまで来れたのは、運と、たぶん意地だ。
でも、ここ数年ずっと考えている。
「いつ、これを降ろすんだろう」と。
やめたい、というのとは少し違う。
疲れている、というのが近い。
人事の仕事を朝8時から夜7時までやって、家に帰ってFBA倉庫の在庫表を開く。
長期保管手数料の予告メールが来ている。
レビューに星1がついている。
「届いた箱がへこんでいた」と書かれている。
商品はへこんでいない。箱だけだ。
でも、星は1のままだ。
こういう夜が、365日続く。
正確には、続いてきた。
会社員の退職には、辞表という紙がある。
上司に出して、引き継ぎをして、送別会があって、終わる。
寂しいけれど、儀式がある。
物販には、それがない。
辞表を出す相手がいない。
引き継ぐ後任もいない。
「お疲れさまでした」と言ってくれる人もいない。
代わりにあるのは、
倉庫に残った3,000個の在庫と、
OEM工場との「次ロットいつにしますか」のメールと、
ブランドサイトのドメイン更新通知と、
毎月入ってくる、まだそこそこの売上だ。
この「まだそこそこ」が、いちばん厄介だ。
数字が回っているうちは、辞める理由がない。
回らなくなってから辞めるのでは、ただの撤退になる。
利益が出ているうちに畳むほうが、本当はずっと難しい。
なぜ辞められないのか。
自分なりに、3つあると思っている。
ひとつ目は、在庫だ。
FBA倉庫にある在庫は、私の財布の中身ではない。
でも、私の銀行口座から出ていったお金が、形を変えてそこにある。
これを「損切り」と言葉で言うのは簡単だ。
実際にボタンを押すのは、心臓に悪い。
ふたつ目は、関係だ。
熊野の職人さんは、もう80近い。
「中村さんが声かけてくれたから、また筆を作る気になった」と一度言われた。
あの一言を、私はまだ抱えている。
OEM工場の担当者は、私が独立してすぐの頃、振込が遅れた月にも黙って次のロットを作ってくれた。
その人に「もうやめます」とメールを打つのは、退職届を出すより重い。
みっつ目は、自分だ。
このブランドを育てたのは、私だ。
数字を作ったのも、品質を上げたのも、レビューを耐えたのも、私だ。
それを手放すというのは、過去10年の自分を、棚に戻すような感覚に近い。
論理ではなく、執着だ。
そして、執着している自覚が、いちばん怖い。
この10年で、何度も「辞めようかな」と思った夜がある。
アカウント健全性のスコアが急に下がった夜。
理由はわからない。
問い合わせても、英語のテンプレ返信が返ってくるだけだ。
朝までセラーセントラルのダッシュボードを開いては閉じ、開いては閉じ、を繰り返す。
商標を取られかけた夜。
中国のセラーが、私が育てたブランド名で類似商品を出してきた。
弁理士に電話して、見積もりを取って、書類を集めて、それでも結局2か月かかった。
在庫を増やすほど、離れられなくなる。
商材を増やすほど、辞められなくなる。
それは、はっきりわかっている。
わかっていて、また新しいSKUを増やしてしまうのだ。
人事の仕事で、辞めたいのに辞められない社員を、何百人も見てきた。
住宅ローン、子どもの学費、世間体、年齢。
「わかるよ」と心の中で言いながら、面談をしてきた。
自分が同じ構造にハマっていることに、気づくのに時間がかかった。
ここ1年で、状況は少し変わってきた。
AIだ。
商品ページの文章は、ClaudeとChatGPTがほとんど書いてくれる。
レビュー対応のテンプレも、AIが下書きしてくれる。
需要予測も、月次レポートも、もうExcelをいじっていない。
正直に言って、運営の半分以上は自動化できた。
だから、楽になった。
楽になって、気づいた。
「作業がしんどいから辞めたい」のではなかった、と。
辞められなかったのは、判断ができなかったからだ。
AIは、よく働く。
でも、「このブランドをいつ畳むか」は決めてくれない。
「あと1年やるか、ここで売却するか、子どもに継がせるか」も、決めてくれない。
数字を見せてはくれる。
決めるのは、いつも私だ。
たぶん、これからの副業や小さな事業は、全部こうなる。
作業はAIがやる。
判断だけが人間に残る。
そして判断のうち、いちばん重いのは「降りるかどうか」だ。
始める判断は、わりと簡単だ。
うまくいくかどうかわからないからこそ、勢いで始められる。
でも、降りる判断には、勢いが効かない。
数字が出ていて、関係があって、思い出があるものを止めるには、
「もう十分だ」と自分に言える静かな強さが要る。
50代になって、ようやく少しわかってきた。
事業も、副業も、人生のどこかで「降ろし方」を考えておかないと、
死ぬまで続けるしかなくなる、ということを。
続けるのは、惰性でもできる。
降りるのは、意思がないとできない。
まだ、私は辞めていない。
来月もたぶん、セラーセントラルを開く。
長期保管手数料のメールに、ため息をつく。
でも、最近はノートに少しずつ書き始めた。
「このブランドを、誰に、いつ、いくらで渡せたら、自分は納得するか」
「最後に職人さんに、何と言って電話するか」
まだ答えは出ていない。
たぶん、出すのに3年くらいかかる。
それでも、考え始めたこと自体が、自分にとっては小さな前進だ。
副業や小さな商売をやっているあなたへ。
「いつか、どう降ろすか」を、一度だけでいい、ノートに書いてみてほしい。
辞めるためではない。
続けるかどうかを、自分の意思で選び直すためだ。
辞表が出せない仕事を抱えている人は、たぶん、思っているより多い。
私もその一人だ。
だから、今夜もこれを書いている。


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