倉庫に、段ボールの山が残っていた。
200万円分。
売れると、信じていた。
いや——売れてほしいと、思い込んでいた。
その二つは、似ているようで、まったく違う。
あの夏、私はそれを混同した。
副業でAmazon物販を始めて、3年目くらいだったと思う。
本業は地方の老舗企業の人事。
昼間はずっと人の話を聞いて、夜と週末に物販をやっていた。
その商品は、夏に使う日用品だった。
具体的な品名は伏せるが、季節がはっきり決まっているものだと思ってほしい。
5月から7月によく売れて、お盆を過ぎるとぱたっと止まる。
そういう商品。
最初の年は、おそるおそる100個だけ仕入れた。
それが、思ったより早く売れた。
2年目は300個。
これも、夏を待たずに在庫が切れた。
切れたとき、私は悔しかった。
「もっと持っていれば、もっと売れたのに」
その悔しさを、私はよく覚えている。
問題は、その悔しさだった。
3年目。
私は、強気の数字を出した。
過去2年の売れ行きをグラフにして、伸び率をかけて、こう考えた。
「今年は1,500個いける」
仕入れ値で言えば、200万円を超える。
副業の物販としては、決して小さくない金額だ。
家族には言わなかった。
言えば止められると、どこかでわかっていたのだと思う。
仕入れの判断をした夜のことは、今でも覚えている。
エクセルの数字は、きれいに右肩上がりだった。
去年100、300と来て、今年1,500。
冷静に並べれば、伸びすぎている。
300の5倍だ。
でも、そのときの私には、その数字が「正しい」ように見えた。
正しく見えた、のではない。
正しいと思いたかった。
売れ筋を持っているという感覚は、人を少し酔わせる。
「自分は読める」
そういう気分になる。
その気分が、判断を上書きしていく。
商品は、4月に届いた。
1,500個の段ボールは、想像よりはるかに大きかった。
自宅の一室には入りきらず、外部の倉庫を借りた。
ここで、最初の請求が来る。
倉庫の保管料。
月いくら、という金額が、毎月引き落とされていく。
売れていれば、気にならない金額だ。
でも、売れていなければ、それはただ「在庫を持っているだけで減っていくお金」になる。
5月。
売れ始めた。
去年と同じペースだ。
私は安心した。
「ほら、いける」
6月。
ペースが、上がらない。
去年と、ほぼ同じ。
つまり——300個ペース。
1,500個には、まったく届かない速度だった。
このとき、私は気づくべきだった。
いや、気づいていた。
数字は毎日見ていたのだから、気づかないわけがない。
でも、私はこう考えた。
「7月に伸びる」
「お盆前に、まとめ買いが来る」
根拠は、なかった。
ただ、そうであってほしかった。
7月が終わった。
倉庫には、まだ900個以上残っていた。
900個。
仕入れ値で、120万円以上。
お盆を過ぎた。
注文は、ぱたっと止まった。
毎年そうだったように。
知っていたはずの「ぱたっと」が、今年は120万円分の在庫の上に落ちてきた。
8月の倉庫で、私はその段ボールの山を見ていた。
汗だくだった。
商品は腐るものではない。
でも、季節商品は、季節を過ぎれば価値を失う。
来年まで持ち越す?
倉庫料を11か月払い続けて?
その間、お金は1円も動かない。
来年売れる保証も、ない。
私は、計算した。
持ち越すコストと、今処分するコスト。
どちらも、痛い。
処分を決めた日のことを書く。
私は、まとめ売りに出した。
つまり、二束三文で、別の業者に引き取ってもらった。
仕入れ値の、半分以下。
ものによっては、3分の1。
エクセルでは、その損失がはっきり赤い数字で出た。
200万円のうち、戻ってこなかったお金。
ざっと80万円。
副業で、ここまでまとまった金額を失ったのは、初めてだった。
不思議なことに、処分を決めたとき、少しほっとした。
毎月の倉庫料という出血が、止まるから。
その「ほっとした」感覚に、私はぞっとした。
損切りは、痛い。
でも、損切りができないことは、もっと痛い。
それを、私は80万円で学んだ。
何が悪かったのか。
市場ではない。
その商品は、今年も例年どおり売れていた。
300個ペースで。
運でもない。
天気も、競合も、特別なことは何も起きていない。
悪かったのは、私だ。
正確に言えば——私の中の「売れてほしい」という欲。
去年の「もっと持っていれば」という悔しさ。
それが、1,500という数字を私に書かせた。
データは、ずっと正直だった。
去年300。
一昨年100。
そのデータを素直に読めば、今年はせいぜい400か500。
データは、そう言っていた。
私が、それを聞かなかっただけだ。
人は、売れているときほど、強気の数字を信じる。
不安なときではなく、調子がいいときに、判断を誤る。
これは、物販だけの話ではない。
採用が好調な年に、人事は採用枠を広げすぎる。
業績がいい年に、経営者は設備投資を膨らませる。
うまくいっている、という感覚そのものが、ブレーキを溶かしていく。
今は、需要予測をAIに出させることができる。
過去の販売データを渡せば、来季の数字を返してくれる。
実際、私も今は使っている。
便利だ。
去年の私が使っていたら、AIはきっとこう言っただろう。
「今年の見込みは、450個前後です」
冷静で、正確で、つまらない数字。
問題は、その先だ。
AIが450と出しても、私はこう書き換えられる。
「いや、今年はいける。1,500だ」
予測を出すのはAIだが、その予測を自分の欲で上書きするのは、人間だ。
AIは、悔しさを知らない。
「もっと持っていれば」という去年の感情を、持っていない。
だから、素直な数字を出せる。
そして人間は、その素直な数字に、自分の願望を上乗せできてしまう。
AI時代に問われるのは、予測の精度ではない。
AIが出した素直な数字を、欲で歪めずに受け取れるか。
それができるかどうか。
分かれ目は、そこにある。
ツールが賢くなっても、最後に数字を信じるか歪めるかは、人間が決める。
200万円の在庫の話を、もう少し広げて終わりたい。
これは結局、「身の丈」の話だ。
自分が本当に売り切れる量。
自分が本当に管理できる範囲。
そこを冷静に見て、その内側で勝負する。
それが、身の丈で判断するということ。
派手ではない。
去年300なら、今年は400か500。
地味な数字だ。
でも、その地味な数字の中でなら、私は損切りに追い込まれずに済んだ。
倉庫の段ボールの山を、汗だくで見上げずに済んだ。
あの夏から、私は仕入れの前に、必ず一度立ち止まるようになった。
この数字は、データが言っているのか。
それとも、自分が「言ってほしい」だけなのか。
その二つを、分けて考える。
たったそれだけのことが、80万円の授業料の中身だった。
在庫の山は、もう倉庫にない。
代わりに、あの夏の感覚が、私の中に残っている。
調子がいいときほど、足元を見る。
欲が数字を書き換えそうになったら、いったん手を止める。
それを覚えていられるなら、80万円は、たぶん高くなかった。
そう思えるまでに、少し時間はかかったけれど。


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