深夜3時、リビングのソファ。
ノートパソコンの画面に、見覚えのない☆1のレビューが、5つ並んでいた。
私は、震える指で、返信を打ち始めていた。
家族はとうに寝ている。
エアコンの音だけが、低く鳴っていた。
副業で始めたAmazon物販が、ようやく軌道に乗ってきた頃の話だ。
ある商品が、運良くカテゴリの上位に入っていた。
毎月の売上が、本業の月給を超え始めていた。
正直、調子に乗っていた、と思う。
そこに、☆1が来た。
しかも、ほぼ同じ時間帯に、5つ。
文面の癖まで、似ていた。
「届いた商品が偽物だった」
「箱が潰れていた」
「返信が一切ない」
——どれも、事実ではなかった。
これがいわゆる「レビュー攻撃」というやつだ、と、頭ではわかっていた。
競合か、誰かに依頼されたか、あるいは私を引きずり下ろしたい誰か。
理屈ではわかっている。
でも、心は別だった。
***
私は人事を22年やってきた。
面接で2,000人以上を見てきた。
人の感情の動きには、それなりに自信があったはずだった。
会社では「冷静な総務部長」で通っている。
部下が泣いても、社長が怒鳴っても、私は表情を変えない。
それが、私の仕事だ。
なのに。
なのに、自分のブランドに☆1がついた瞬間、私は別人になった。
指が震えた。
呼吸が浅くなった。
「あなたは、事実と違うことを書いている」
そう打ち込んで、消した。
「私は、こんなにも誠実に商品を作っているのに」
そう書いて、また消した。
何度書いても、感情が滲んだ。
文字の隅々から、怒りと、悔しさと、不安が、にじみ出てきた。
返信は、すべての購入者に公開される。
つまり、私のその「滲み」も、世界に公開されるということだ。
***
なぜ、私はあの夜、書いていたのか。
今になって思う。
あれは、相手に何かを伝えたかったわけではなかった。
自分の中の「怒りの行き場」を、ただ、探していただけだった。
書くことで、整理しようとしていた。
書くことで、納得しようとしていた。
書くことで、眠ろうとしていた。
でも、書けば書くほど、目は冴えた。
体は震えた。
朝まで、何十回も書き直した。
***
夜中の3時に書いた文章は、たいてい、ろくなものにならない。
これは、人事をやってきた人間として、痛いほどわかっていたはずだった。
社員が深夜にメールを送ってくる時、その文面はだいたい、感情が暴れている。
「明日の朝、もう一度読んでから送ってください」
私はいつも、若い社員にそう言ってきた。
なのに、自分のこととなると、できなかった。
人のブランドは守れるのに、自分のブランドは守れない。
これが、副業で物販をやってみて、初めて学んだ、いちばん大事なことだった。
レビュー返信は、お客様一人に対する手紙ではない。
これから商品ページを訪れる、何千人、何万人への、公開書簡だ。
そこに「滲み」があったら、その瞬間にブランドは死ぬ。
正論を返しても、ダメだ。
冷静そうに見えて、行間に「悔しさ」が透ける文章は、必ず読み手に伝わってしまう。
私は、人を見てきたからこそ、わかる。
人は、内容を読んでいるようで、温度を読んでいる。
***
それ以降、私はやり方を変えた。
深夜にどうしても書きたくなったら、書く。
書くこと自体は、止めない。
ただし、「下書き保存」のボックスに、入れておく。
そのまま、寝る。
翌朝、コーヒーを淹れてから、もう一度読む。
ほぼ100%、書き直す。
それで、ようやく、送信する。
シンプルだ。
でも、これに気づくまでに、私は何回もブランドを傷つけかけていた。
***
最近は、ChatGPTやClaudeにレビュー返信を書かせる、という人も増えた。
「冷静に、丁寧に、誠実に返信してください」
そうプロンプトを入れれば、立派な文章が、数秒で出てくる。
私も、何度か試した。
確かに、上手い。
破綻がない。
炎上しない。
でも、何度かやって、気づいた。
温度が、冷たすぎる。
AIが書いた返信は、揚げ足を取られない代わりに、誰の心にも残らない。
「ご不便をおかけし誠に申し訳ございません」
——きれいに整っているのだけれど、そこに、人間の体温がない。
ブランドって、最後は体温なのだと、私は思っている。
完璧に磨かれた文章より、少しだけ不器用でも、「この人、本当に作っているんだな」と感じさせる文章のほうが、人は買う。
地方の老舗が生き残ってきた理由も、たぶん、同じだ。
完璧だから残ったのではない。
体温があったから、残った。
***
だから、今の私はこうしている。
返信のたたき台は、自分で書く。
夜中に書いたものは、朝まで寝かせる。
朝、もう一度読む。
そこから、AIに「もう少し落ち着いたトーンに整えてほしい」とお願いする。
AIに丸投げはしない。
自分の文章の「温度」を、AIに少しだけ下げてもらう。
そういう使い方に、落ち着いた。
たぶん、これが、今の時代の副業オーナーにとって、ちょうどいい距離感だと思う。
***
あの深夜3時の私は、もういない。
☆1のレビューは、今でもたまに来る。
悪意のあるものも、正直なご指摘も、両方ある。
でも、もう、震えない。
たぶん私は、あの夜、震えながら、何かを身につけたのだ。
副業の物販は、何度も失いかけた。
レビューに殺されかけた夜は、数えきれない。
それでも、今日まで続いている。
夜中の3時に書いたものは、朝に読み直す。
たったそれだけのことだ。
でも、このシンプルな一行を、私は何百万円分かの失敗をして、ようやく手に入れた。
もし、今夜あなたが、震える指でキーボードを叩いているなら。
——どうか、送信ボタンは、朝まで押さないでほしい。
朝のコーヒーは、思っているより、強い味方だ。


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