坐禅は、「自分との会議」だ

禅と精神性

坐禅で、雑念が、次々わいた。

払おうとして、もっと増えた。

ある時、気づいた——これは「会議」なのだ、と。


比叡山の居士林に入ったのは、もう何年も前のことだ。

朝、まだ暗いうちに本堂へ向かう。

板の間に座る。

足を組む。

「無心になりなさい」と言われた気がしていた。

でも、実際は違った。

坐ったその瞬間から、頭の中は騒がしくなる。

来週の取締役会の議題。

辞めると言い出したあの社員のこと。

子どもの進路の話。

去年やらかした採用ミスのこと。

なぜか、20年前に言われた一言。

次から次へとわいてくる。

「払え、払え」と思うほど、雑念は太く、濃くなる。

足は痺れる。

腰が重い。

無心、どこにある。


3日目だったと思う。

ふと、力が抜けた瞬間があった。

雑念を「払う」のをやめた。

そうしたら、雑念が、ひとつひとつ、ゆっくり通り過ぎていくのが見えた。

それを見ながら、私はこう思った。

——これ、会議に似ている。

私は会社で20年以上、会議を回してきた。

部長会、経営会議、人事委員会、労使協議会。

会議には議長がいる。

議題があり、発言があり、決議がある。

坐禅の中で起きていたことは、それと似ていた。

ただし、参加者は全員、私だった。

私の中の、私が、次々と発言していた。


普段の会議では、私は議長だ。

しかし、自分の中の会議では、議長らしいことを何もしていなかったことに気づいた。

会社の会議には、必ず少数派の声がある。

「この案件、本当は無理だと思います」

「進めるべきじゃないと感じています」

そういう声を、議長は拾いに行く。

拾わないと、決議は浅くなる。

ところが、自分の中の少数派の声を、私はずっと無視してきた。

「この異動、本当はおかしい」と感じていた自分。

「あの社員、辞めさせるべきじゃなかった」とつぶやいていた自分。

「この経営判断、自分は納得していない」と小さく言っていた自分。

全部、黙殺してきた。

坐禅では、その声たちが、議題として上がってきた。


おもしろいのは、その時、自分の中で「議論」が始まることだ。

ひとつの懸念に対して、別の声が反論する。

「いや、あの判断は正しかった」

「でも、本人の家庭の事情を聞いてなかっただろう」

「聞いていたら、業務が回らなかった」

「本当にそうか? 別の手はあったんじゃないか」

会議室で部長たちが議論する、あの光景に似ている。

ただ、参加者は全員、私だ。

経営者の声をする私。

現場を見てきた私。

家族を持つ私。

20年前の若かった私。

それぞれが、それぞれの立場で発言する。

普段は経営者の声が一番大きい。

だから他の声は、机の下で小さく書き残されるだけだ。

しかし坐禅では、声の大きい順ではなく、わいてきた順に議題に上がる。

これが、自分との会議だ。


22年、人事をやってきて思う。

判断を間違えた時、たいてい、自分の中の少数派を黙らせていた。

「この人を昇格させるのは早い」という声を、業績数字で押し切った。

「この退職勧奨は人として違う」という声を、会社の都合で飲み込んだ。

結果、その判断は、後から自分に返ってきた。

人事の仕事は、外側の会議で決まっているように見える。

実際は、自分の中の会議で、9割決まっている。

外の会議は、その追認の場でしかない時すらある。


最近、私はChatGPTもClaudeも、毎日使っている。

正直、外との会議の質は、AIが入ってから明らかに上がった。

論点整理は速い。

過去事例も即引いてくる。

反対意見のシミュレーションもできる。

部長会の資料は、半分の時間でできるようになった。

ただ、ひとつだけ、AIには代われないものがある。

「自分との会議」の議長だ。

AIは、私の中の少数派の声を、知らない。

私が無視してきた違和感を、AIは持っていない。

20年前の若かった私の声を、AIは出力できない。

外との会議はAIが助けてくれる。

しかし、自分との会議は、自分でしか開けない。

そして、その会議をサボった人間の判断は、どれだけAIで磨いても、芯がぶれる。

これは、AIが進めば進むほど、はっきりしてきたことだ。


意思決定の前、私は短く坐ることが増えた。

10分でいい。

会議室でもいい。

足を組まなくてもいい。

目を閉じて、呼吸を整える。

そして、自分の中で議題が上がるのを待つ。

たいてい、最初にわくのは、業績や数字の話だ。

それは経営者の声。

そのまま聞き続けると、別の声が出てくる。

「本当はこの人を異動させたくない」

「この判断、自分でも納得できていない」

「数字より、もっと大事なものがある気がする」

その声を、議長として、議事録に残す。

決議は、その後でいい。

不思議なもので、こうして決めた判断は、後悔が少ない。

正解だった、という意味ではない。

「自分はちゃんと聞いた上で決めた」という納得が残る。

人事の判断は、正解より納得で持ちこたえる場面が、ずっと多い。


明日の朝、10分でいい。

スマホを置いて、椅子に座ってほしい。

無心にならなくていい。

雑念を払わなくていい。

ただ、自分の中でわく声を、ひとつひとつ聞いてみる。

それは、立派な会議だ。

参加者は、あなたしかいない。

議長も、あなたしかいない。

——でも、それでいい。

その会議をひらける人だけが、AI時代に、自分の判断を持って立っていられる。

少なくとも私は、そう信じている。

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