「うちの会社、いい会社だよ」と新人に言える年齢じゃなくなりました。

人事・組織

新人歓迎会の挨拶で、私は言葉に詰まった。

30代の頃なら、迷わず言えた一言が、出てこなかった。

「うちの会社、いい会社だよ」

その6文字を、口の中で2回ほど転がして、結局、別の言葉に置き換えた。

「ここで、自分なりに何かを掴んでください」

我ながら、ふわっとした挨拶だった。

若手が4人、こちらをまっすぐ見ていた。

たぶん、それなりにちゃんと聞いていた。

でも私は、自分が嘘をつかなかったことだけで、少し安心していた。


30代の私は、もっと迷いがなかった。

新卒で入ったわけではないけれど、転職してきて10年も経つと、「会社の顔」のような役割が回ってくる。

歓迎会、内定式、社内研修。

そういう場所で、「うちの会社はね」と語る役。

そのとき私は、本気で「いい会社だ」と思っていた。

人がやさしい。

業界の中では給料も悪くない。

地元では名前を知らない人がいない、老舗の看板。

不満がなかったわけではない。

でも、若手の前で語るときには、迷わず「いい会社だよ」が出てきた。

あれは、嘘ではなかった。

ただ、見えていなかっただけだ。


50代になって、何が変わったのか。

会社は、たぶん、そんなに変わっていない。

業績は良い年も悪い年もある。

社長は相変わらず不器用で、現場は相変わらず人手不足だ。

変わったのは、私の方だ。

22年いると、見えるものが多すぎる。

評価制度が、何度作り直しても、結局は「上の好み」で動いている現実。

優秀だった人が、5人、10人と、静かに辞めていった背中。

「家族みたいな会社」と言われる裏で、家族のように傷つけ合っている部署。

若手に「ここで頑張れ」と言いながら、自分の子どもには「ここに入れ」と言えない、自分自身の矛盾。

それでも、悪い会社ではない。

ここで救われた人もいる。

私もその一人だ。

ただ、「いい会社だよ」と、笑顔で言い切れるほど、無邪気ではいられない。


採用面接で2000人以上に会ってきた。

その中には、入社して、輝いて、そして辞めていった人が、何人もいる。

辞めていった彼らに、私はどんな言葉を渡せただろうか。

入社のときには、確かに私は「いい会社ですよ」と言った。

退職面談のときには、ただ黙って話を聞いた。

その間に何が起きていたのかは、私が一番よく知っているはずなのに、面接の場では、毎回ちょっとずつ言葉が短くなっていった。

「いい会社ですよ」が、

「悪い会社ではないですよ」になり、

「合う合わないは、入ってみないと分からない部分があります」になった。

これは、嘘が増えたのではない。

正直さの精度が、上がってしまっただけだ。


社長の孤独も、若い頃には見えなかった。

決算前に、ひとりだけ最後まで会議室に残っている背中。

労組との交渉の前に、机の上で何度も書き直された手書きのメモ。

社員には言えない数字を、ひとりで抱えて、それでも朝礼では「みんな、頑張ろう」と言う。

正直、若い頃の私は、社長に対して批判的だった。

「現場を見ていない」と思っていた。

今は、少し違う。

見ていないんじゃない。

見えているのに、言えないものが多すぎるんだ、と分かるようになった。

それは私自身が、若手の前で「いい会社だよ」と言えなくなった理由と、たぶん同じ構造をしている。


AIが、会社を「スコア」で出せる時代になった。

ChatGPTでもClaudeでも、企業名を入れれば、ある程度の評価が返ってくる。

口コミサイトのデータ、転職会議、ベンチマーク。

「離職率」「平均勤続年数」「年収中央値」「働きがいスコア」。

数字は、嘘をつかない。

でも、数字は、語らない。

新人歓迎会で、社長が「うちは働きがいスコア72点の会社です」と挨拶する未来は、たぶん来ない。

来てほしくもない。

人事の私が、AIにできない仕事があるとすれば、たぶんここだ。

スコアでは表せないものを、ちゃんと、言葉にしない、という仕事。

言いきってしまうと、嘘になる。

黙ってしまうと、不誠実になる。

その間で、揺れながら、若手の目を見て話すこと。

それくらいしか、もう、AIに譲れない領域は残っていない気がしている。


最近、若手のひとりに、こっそり聞かれた。

「部長は、この会社、好きですか?」

私は、3秒くらい黙って、こう答えた。

「好きとか嫌いとかじゃなくて、もう、長すぎて、家族みたいなものだよ」

我ながら、ずるい答えだと思った。

でも、嘘ではなかった。

家族なら、いいところも悪いところも知っている。

それでも、簡単には離れられないし、簡単に「いい家族だよ」とも言わない。

たぶん、今の私にとっての会社は、そういう存在だ。


新人歓迎会の最後、私は、もう一言だけ付け加えた。

「この会社が、いい会社かどうかは、私には、もう判定できません」

「ただ、ここで、何を選び取るかは、君たち次第です」

「全部を会社のせいにもしないでほしいし、全部を自分のせいにもしないでほしい」

「迷ったときは、私の部屋に来てください。答えは出せないけど、一緒に黙ることはできます」

若手は、ちょっと笑った。

私も、ちょっと笑った。

30代の頃の私なら、絶対にしなかった挨拶だ。

でも、50代の私には、これくらいしか言えなかった。

そして、これくらいしか言えない自分のことを、嫌いではない、と思った。


会社を「いい会社」と言い切れなくなったのは、諦めではない。

たぶん、これは、ある種の成熟だ。

若い頃の自分が、無邪気に「いい会社だよ」と言えていたのは、見えていなかったから。

今の自分が、言えなくなったのは、見えてしまったから。

どちらが正しいかではなく、どちらも、その年齢の正直さだ。

新人には、いつか、彼らの50代が来る。

そのとき、彼らもまた、誰かの前で言葉に詰まる日が来るだろう。

そのときに、思い出してもらえたらいい。

「ああ、あのときの部長も、こうやって詰まっていたな」と。

その記憶だけ、ひとつ、こっそり置いておく。

それが、22年いた人間にできる、たぶん、ぎりぎりの誠実さだ。

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