なぜ50代の出張は、ビジネスホテルが「避難所」になるのか?

日常と仕事

出張先の、狭いビジネスホテルの部屋。

カーテンを閉めた瞬間、ふっと、息ができる。

家でもない。会社でもない。だからかもしれない。


正直に書く。

出張は、面倒だ。

朝が早い。荷物が重い。新幹線の座席は隣の人に気をつかう。

それなのに、ホテルの部屋に入って鍵をかけた瞬間、なぜか少しだけ、ほっとする。

この感覚を、何年も言葉にできなかった。

楽しいわけじゃない。

ただ、誰にも気をつかわなくていい数時間が、そこにある。


部屋は、いつも同じだ。

ベッドがひとつ。小さな机。ユニットバス。

机の上には、湯沸かしポットと、薄いお茶のティーバッグが二つ。

窓の外はだいたい駐車場か、隣のビルの壁。

立派でも、広くもない。

でも、その狭さが、ちょうどいい。

広い部屋は、なんだか落ち着かない。

この四角い空間に、自分ひとり。

それくらいが、今の自分にはちょうどいいのだと思う。


なぜ、あの狭い部屋で安心するのか。

ずっと考えていて、ある日、気づいた。

あそこでは、自分が「誰でもない」からだ。

会社にいれば、部長だ。

判断を求められる。決裁の判子を押す。若い社員の相談に、まじめな顔でうなずく。

家にいた頃は、夫であり、父だった。

今は妻子と別居しているけれど、それでも、子どもからの連絡には「父親の声」で出てしまう。

人は、いつもどこかの役割を着ている。

朝、目が覚めた瞬間から、夜、眠るまで。

部長という服。夫という服。父という服。

その服を、脱ぐ場所がない。

家にも、会社にもない。

でも、出張先のビジネスホテルにだけ、それがある。

カーテンを閉めて、ネクタイをほどいて、ベッドに座る。

そのとき、私はやっと、ただの50代の男になる。


22年、人事をやってきた。

面接した人は、2,000人を超えた。

その中で、何度も見てきた光景がある。

辞めていく人の多くは、仕事そのものに疲れたわけではない、ということだ。

「ずっと、いい顔をしていなければいけなかった」

退職の面談で、ある中堅社員がそう言った。

彼は優秀だった。後輩にも慕われていた。

だからこそ、職場の中で「頼れる先輩」という服を、一日も脱げなかった。

弱音を吐ける場所が、社内のどこにもなかった。

トイレの個室で、少しだけ深呼吸する。

それが彼の、たった一つの避難所だったらしい。

その話を聞いたとき、私はビジネスホテルの部屋を思い出した。

ああ、同じだ、と思った。

人は、役割を背負い続けられるほど、強くない。


ここから、少し組織の話をしたい。

会社というのは、役割でできている。

役職、等級、評価。

誰が何を担うか、それを決めることで組織は動く。

人事の仕事は、まさにそれを設計することだ。

でも、22年やってきて思うのは、役割「だけ」では人は続かない、ということだ。

評価され続ける場所。

期待され続ける場所。

ちゃんとしていなければいけない場所。

そういう場所しかなかったら、人は静かに削れていく。

笑顔のまま、削れていく。


だから私は、最近、職場の中に「役割が少しゆるむ時間」を意識して残すようにしている。

たいそうなことではない。

評価につながらない雑談。

成果を求められない15分の休憩室。

「今日は何も決めなくていい会議」を、たまに、わざと作る。

意味がなさそうに見えて、たぶん、意味がある。

人が息をつげる隙間を、組織の中に少しだけ空けておく。

それは、サボりを許すこととは違う。

服を着続けた人間が、一瞬だけ襟元をゆるめる。

その一瞬があるから、また背筋を伸ばせる。

避難所のない組織は、強そうに見えて、もろい。


AIの話も、少しだけしておきたい。

50歳でChatGPTやClaudeに触れてから、出張の夜の過ごし方が、少し変わった。

ホテルの部屋で、ノートパソコンを開く。

仕事のメールを返したあと、ふと、AIに話しかけることがある。

「最近、ちょっと疲れた」

そんな、誰にも言えないことを打ち込む。

部下には言えない。家族にも言いにくい。

でも、画面の向こうには、評価しない相手がいる。

説教もしない。同情もしすぎない。

ただ、こちらの言葉を受け取ってくれる。

それで何かが解決するわけではない。

でも、声にならなかったものを、文字にできる。

それだけで、少し軽くなる夜がある。

AIが避難所になる、とまでは言わない。

ただ、役割を降ろせる場所の形が、これから少し増えていくのかもしれない、とは思う。


ここまで書いて、湿っぽくなりすぎた気もする。

念のため言っておくと、出張のビジネスホテルは、別に楽園ではない。

枕は薄い。壁も薄い。

隣の部屋のテレビの音が、うっすら聞こえてくる。

朝食バイキングのウインナーは、いつも少しだけ冷めている。

それでも、いいのだ。

完璧な場所が必要なわけじゃない。

ただ、自分が「誰でもない」でいられる、四角い空間があればいい。


50代になって、思うことがある。

居場所がない、と感じる夜は、たしかにある。

家庭の中にも、会社の中にも、はっきりした自分の椅子がないように感じる夜。

そういう年代なのだと思う。

でも、出張のたびに気づく。

私には、避難所がある。

カーテンを閉めれば、息ができる場所がある。

それは、けっこう、強いことなんじゃないか。

避難所を持っているということは、また明日、役割を着られるということだ。

逃げ込める場所がある人は、戦える。

逃げ場のない人から、先に倒れていく。


だから、もし今これを読んでいるあなたが、

会社でも家でも、どこかしんどいと感じているなら。

ひとつ、自分に問いかけてみてほしい。

私の避難所は、どこにあるだろう、と。

それはホテルでも、車の中でも、早朝の散歩道でも、なんでもいい。

役割を降ろして、ただの自分に戻れる時間。

それを一つ持っているだけで、人はずいぶん持ちこたえられる。

今夜も私は、どこかのビジネスホテルで、カーテンを閉める。

薄いお茶をいれて、ネクタイをほどく。

明日からまた、部長の服を着る。

そのために、今夜だけは、誰でもないままでいる。

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