引き留めなかった上司に、退職者がメールを返した話

人事・組織

「お前が決めたなら、止めない」

上司は、それだけ言って、退職届を受け取った。

半年後、その若手から、上司に、一通のメールが届いた。

退職届を持って上司の席に立った時、彼の手は、少しだけ震えていた。

二十代後半。

入社して五年目の、まじめな男だった。

私は人事として、その場に同席していた。

普通、こういう場面では、上司は引き留める。

「少し考え直さないか」「異動も検討できる」「給料の話なら、相談に乗る」

何かしら、言葉をかける。

それが、上司の役目だと、私もずっと、そう思っていた。

けれど、その上司は違った。

書類に目を落とし、しばらく黙ったあと、こう言った。

「お前が決めたなら、止めない」

それだけだった。

若手は、一瞬戸惑った顔をした。

たぶん、引き留められると思っていたのだろう。

説得されて、悩んで、それでも辞めると言い切る覚悟で、ここに来た。

なのに、すんなり受け取られた。

頭を下げて、彼は部屋を出ていった。

ドアが閉まったあと、私は思わず聞いた。

「もう一度、面談しないんですか」と。

上司は、書類を引き出しにしまいながら、ぽつりと言った。

「彼は、もう決めている」

正直に言うと、私はその時、納得していなかった。

人事として、退職は痛い。

若手の離職は、教育コストも、現場の士気も、根こそぎ持っていく。

引き留めるのが、私たちの仕事のはずだった。

「冷たいな」と思った。

「あれだけ目をかけていたのに、最後はあっさりなんだな」と。

その上司は、現場では厳しいけれど、若手をよく見る人だった。

だからこそ、もう少し何か言ってもよかったんじゃないか。

そう思った。

半年が経った。

ある朝、上司が私を呼んだ。

パソコンの画面を、こちらに向ける。

「これ、読んでみろ」

辞めていった、あの若手からのメールだった。

転職先で、ようやく落ち着いたという報告。

そして、最後の一段落に、こう書いてあった。

「あの時、引き留められなかったことに、本当に感謝しています」

「もし引き留められていたら、私はきっと、自分の決断を信じられないまま、ずっと迷い続けていたと思います」

読み終えて、顔を上げた。

上司は、画面を見たまま、口角を、ほんの少しだけ上げていた。

笑った、というほどでもない。

ただ、その小さな表情に、二十年人事をやってきた私が、ハッとさせられた。

引き留めることが、優しさだと思っていた。

「もう少し考えよう」と言葉をかけることが、上司の責任だと思っていた。

でも、本当はそうじゃない場面もある。

相手がもう決めている時、引き留めることは、ときに、相手の覚悟を疑うことになる。

「お前にはわからないだろうけど、もっといい道がある」

引き留めの言葉の裏には、そういう響きが、どうしても混じる。

善意のつもりでも、相手から見れば「自分の決断は、まだ未熟だと思われている」と感じる。

一方で、「お前が決めたなら、止めない」という言葉は、突き放しではない。

それは「お前の判断を、俺は信じる」という意思表示だ。

短い言葉の中に、五年間見てきた、彼への信頼が、全部入っている。

辞めていく相手にも、それを渡せる上司は、強い。

最近、AIで退職予兆を検知する仕組みの話を、よく聞くようになった。

勤怠のリズム、メールの文面、業務量の推移。

そういうデータから、辞めそうな社員を見つけて、上司にアラートを出す。

引き留めを「最適化」する時代が、もう始まっている。

技術としては、すごいと思う。

私自身、五十歳でAIに触れて、便利さに驚いた口だ。

人事の事務作業も、ずいぶん助かっている。

ただ、ひとつだけ、思うことがある。

退職予兆が出た時に、すべて引き留めるのが正解か、というと、そうじゃない。

引き留めて、無理に残ってもらった人が、その後どうなるか。

人事を長くやっていると、その後の姿も、見ることになる。

引き留められて残った人が、三年後に、より深く傷ついて辞めていく場面を、何度も見てきた。

「あの時、辞めておけばよかった」とこぼされたことも、一度や二度ではない。

データが示すのは「辞めそう」までだ。

「辞めたほうが、この人のためになる」までは、教えてくれない。

そこを見極めるのは、結局、人だ。

五年、十年と一緒に働いてきた上司の目だ。

「彼はもう決めている」と見抜けるのは、データではなく、関係性だ。

AIが普及すればするほど、「引き留めない」を選べる上司の価値は、上がっていく気がする。

アラートが出ても、押し戻せる人。

数字に流されず、目の前の相手の覚悟を、信じられる人。

そういう上司は、たぶん、これからもっと、希少になる。

あの上司に、後日、聞いてみたことがある。

「どうして、あの時、引き留めなかったんですか」

彼は、少し考えてから、こう答えた。

「あいつの目を見たら、わかったよ。もう、ここにはいない目をしていた」

「そういう時に引き留めるのは、こっちの都合だ」

こっちの都合。

その言葉が、ずっと残っている。

引き留めの多くは、相手のためというより、組織のため、自分のためだったりする。

人事の私が、一番、突きつけられた言葉だった。

退職は、別れだ。

別れの場面で、相手の決断を信じて送り出せるかどうか。

そこに、上司の本当の器が、出る気がする。

引き留めることが、愛情の証だと思っていた頃の自分に、今、こう言いたい。

引き留めないことの中にも、信頼という、もうひとつの愛情の形がある。

そして、その信頼は、辞めていった本人に、ちゃんと届く。

半年後の、一通のメールのように。

相手の決断を信じることもまた、上司の仕事だ。

去る人を、笑って送り出せる職場は、たぶん、残る人にとっても、いい職場だ。

「ここを辞めても、自分は否定されない」と思える場所は、不思議と、人が残る。

若い人が辞めることに、過剰に怯えなくていい。

引き留められなかったことを、後悔しすぎなくていい。

去り際に「お前が決めたなら」と言える上司でいられたら、それで十分だと、私は思う。

半年後のメールは、たぶん、すべての上司に届くわけじゃない。

でも、届く時は、ちゃんと届く。

その一通のために、今日も、目の前の若手の目を、よく見ていたい。

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