「うちにAIは、まだ早いよ」
そう言って、あの社長は笑った。
その笑い方を、私はいまでも覚えている。
商工会議所の小さなセミナールーム。
机が並べられて、お茶のペットボトルが配られて。
講師が「ChatGPT」と口にした瞬間、空気が少しだけ緩んだのを、私は隣の席で感じていた。
緩んだ、というのは、本気で聞く空気が消えた、という意味だ。
「うちみたいな会社には関係ない」
そういう顔が、部屋の半分くらいに広がった。
あの社長も、そのひとりだった。
それから3年が経った。
その会社は、去年の冬に静かに看板を下ろした。
倒産という派手な言葉ではない。
廃業。
借金を整理して、従業員に頭を下げて、シャッターを閉めた。
地方では、よくある終わり方だ。
ニュースにもならない。
ただ、長く取引のあった人間だけが「ああ、あそこも」とつぶやく。
ここまで読んで、こう思った人がいるかもしれない。
「AIを入れなかったから潰れた、という話だろう」
違う。
私は、その単純な話をしたいわけではない。
AIを導入しなかったから廃業した。
そんなに分かりやすい因果なら、私もこの記事を書こうとは思わなかった。
本当の原因は、もっと静かで、もっと地味で、もっと多くの会社に当てはまるところにある。
「早い」は、判断ではなく言い換えだ
あの社長が言った「うちにAIは早い」。
この言葉を、私は何年もかけて考えてきた。
そして、ひとつの結論にたどり着いた。
「早い」というのは、AIに対する判断ではない。
「変わりたくない」という気持ちの、言い換えだ。
人は、面と向かって「変わりたくない」とは言わない。
そう言うと、自分が怠けているように聞こえるからだ。
だから、もっともらしい理由を探す。
「うちには早い」
「うちの業種には合わない」
「うちの社員は年寄りばかりだから」
どれも、本当のことを言っているようでいて、何も言っていない。
ただ、現状のままでいい、と言っているだけだ。
私には、その気持ちがよく分かる。
責めているのではない。
私自身、何度もそうやって先送りをしてきた人間だから。
問題は、AIを入れなかったことではない。
「早い・遅い」を理由に、判断そのものを先送りし続ける体質。
それが、本当の病だ。
AIの前は、たぶんパソコンだった。
その前は、たぶんファックスだった。
その前は、何かもっと別のものだった。
「うちにはまだ早い」
同じ言葉を、同じ口調で、その会社は何十年も繰り返してきたのだと思う。
そして、世の中の速度に、少しずつ、少しずつ、置いていかれた。
AIは、最後の坂道だっただけだ。
県庁所在地から1時間で、話題が消える
地方にいると、これが肌で分かる。
県庁所在地のセミナーでは、AIの話が出る。
商工会議所の若手の集まりでも、たまに出る。
ところが、車で1時間も走ると、その話題はぴたりと消える。
消える、というのは大げさではない。
本当に、誰も口にしなくなる。
居酒屋でも、取引先との雑談でも、AIの「エ」の字も出ない。
東京と地方の差ではない。
同じ県の中ですら、これだけの温度差がある。
情報が届いていないのではない。
スマホはみんな持っている。
ニュースも見ている。
届いているのに、「自分ごと」になっていない。
それが地方のAI格差の正体だ。
知らないのではなく、関係ないと思っている。
この「関係ないと思っている」が、いちばん厄介だ。
私は、地方で22年以上、人事をやってきた。
300人ほどの会社で、ホテルや冠婚葬祭をやっている。
地方の管理職が、ChatGPTを隠れて使っているのも知っている。
「こんなの使ってると、楽してると思われる」
そう言って、上司に見つからないようにスマホで文章を作っている。
便利だと分かっているのに、堂々と使えない。
それくらい、地方の現場では「新しいもの」への視線が冷たい。
使う側にも、ためらいがある。
経営者だけの問題ではないのだ。
会社全体に、変わることへの後ろめたさのようなものが、染みついている。
私は、家業が衰えていくのを見た
私には、もうひとつ書いておきたいことがある。
父が遺した家業のことだ。
伝統産業の小さな工房だった。
職人の手が要る、いい仕事をしていた。
でも、時代の流れに、少しずつ合わなくなっていった。
父は「うちのやり方は変えない」と言い続けた。
その言葉に、嘘はなかった。
誇りだった。
けれど、誇りと、生き残ることは、別の話だった。
父が亡くなったあと、私はその工房を見て、はっきり思った。
これは「悪いものを作ったから」衰えたのではない。
「変える判断を、ずっと先送りした」から衰えたのだ、と。
あの社長の笑い方を覚えているのは、たぶんそのせいだ。
父の顔と、どこかで重なって見えたのだと思う。
だから私は、AIの話を、他人ごととして書けない。
「早い」と言って笑う気持ちも分かる。
その先に何が待っているかも、見てしまった。
両方を知っているから、この記事を書いている。
AIは、人手が足りない地方のための道具だ
ここで、少し向きを変えたい。
世の中では、AIは都会の最先端企業の道具のように語られる。
でも、私はまったく逆だと思っている。
AIが本当に効くのは、人手の足りない地方の中小企業のほうだ。
考えてみてほしい。
地方の小さな会社では、ひとりが何役もこなしている。
総務をやりながら、採用もやって、シフトも組んで、ホームページの文章も書く。
私自身がそうだ。
その「何役も」を、AIは静かに肩代わりしてくれる。
求人票のたたき台。
クレーム対応メールの下書き。
長い議事録の要約。
どれも、私が以前は夜遅くまでかかってやっていたことだ。
大企業のように専門の部署がない会社こそ、AIで一人が何役もこなせる強みが出る。
ないものを嘆く道具ではない。
少ない人数を、もう一段強くする道具だ。
地方の不利が、AIで小さくなる。
これは、煽りでも夢物語でもない。
私が、自分の手で確かめたことだ。
まだ間に合う会社の、見分け方
最後に、希望の話をしたい。
廃業したあの会社と、これから生き残る会社。
何が違うのか。
導入が早いか遅いか、ではない。
見分け方は、もっと単純だ。
「分からないから、まず触ってみよう」と言える会社か。
「分からないから、やめておこう」で止まる会社か。
たったそれだけだ。
完璧に理解してから始める必要はない。
スマホで、無料のAIを開いて、明日の朝礼の挨拶を考えさせてみる。
それだけでいい。
うまくいかなくてもいい。
大事なのは、判断を先送りする体質に、小さな穴をひとつ開けることだ。
「うちにAIは早い」
もし、あなたの口からこの言葉が出かかったら。
一度だけ、立ち止まってほしい。
それは本当に「早い」のか。
それとも「変わりたくない」を、言い換えているだけなのか。
正直に問えた会社は、まだ間に合う。
あの社長の笑い方を、私はこれからも覚えているだろう。
でも、その笑顔をもう見たくないから、こうして書いている。
あなたの会社は、まだ、ここにいる。
それは、思っているよりずっと大きな希望だ。

