ある年、彼の査定をワンランク下げた。
面談で「分かりました」と言ってくれた。
その半年後、私は、彼と廊下で目が合えなくなっていた。
# 「下げた」あとの、半年間のこと
評価を下げる、というのは、紙の上では一行で済む。
エクセルのセルを一つ書き換える。
それだけで、ある人の処遇が変わる。
でも、私が本当に学んだのは、紙の上の一行のあとに、半年という時間がある、ということだった。
彼は、悪い社員じゃなかった。
むしろ、長く現場を支えてくれていた、中堅の中の中堅だった。
ただ、その年は数字が伸びなかった。
理由もあった。配置の問題も、上司との相性の問題もあった。
それでも、制度の物差しに当てれば、ワンランク下げざるを得なかった。
面談の席で、私は、できるだけ丁寧に話したつもりだった。
来期の期待。
挽回の道筋。
下げる理由。
紙も用意した。
彼は、最後まで黙って聞いて、「分かりました」と言ってくれた。
私は、内心ほっとした。
「分かってくれた」と、思った。
いま振り返ると、その「ほっとした」が、ぜんぶの始まりだった。
# 廊下で、目が合わなくなる
それから1ヶ月、2ヶ月。
普通に挨拶はある。
会議でも、発言する。
仕事は、むしろ前より丁寧になったくらいだった。
でも、廊下ですれ違うとき、何かが違った。
会釈はある。
声もかけてくれる。
ただ、目線が、ほんの少しだけズレる。
私の眉のあたりとか、肩のあたりとか、絶妙に、私の目から半歩外れたところに焦点が合っている。
給湯室で居合わせると、彼は、なぜか急に思い出したように、別の用事をつくる。
「あ、すいません、ちょっと」と言って、コップを置いて出ていく。
怒っているわけじゃない。
避けているわけでも、たぶん、ない。
明確な敵意なら、まだよかった。
それは、もっと淡い、説明できない「距離」だった。
私は、最初それに気づかないふりをしていた。
気のせいだろう、と。
でも、半年経った頃、はっきり分かった。
私は、彼と、廊下で目が合えなくなっていた。
# なぜ、こうなるのか
評価を下げられた側の気持ちは、想像はつく。
悔しい。
恥ずかしい。
否定された気がする。
それは当然だ。
問題はそこじゃない。
問題は、下げた側――つまり私のほうにあった。
面談が終わったあと、私は、彼との関係を「閉じた」のだ。
紙の上で一行書き換えて、面談で説明して、「分かりました」をもらって、そこで仕事を一つ終えた気になっていた。
でも、評価というのは、終わらない。
下げた、その瞬間から、新しい関係がはじまっている。
その新しい関係を、私は、更新する手間を惜しんでいた。
具体的に言えば、こういうことだ。
下げた翌週、彼の席に寄って、雑談する。
仕事と関係ない、天気とか、家族とか、そういう話を、一度でいい、する。
それだけで、たぶん、半年後の廊下は違っていた。
私はそれを、しなかった。
「面談で説明した」「本人も納得した」――その建前に、自分を逃がした。
後ろめたかったからだ。
目を見て話すのが、しんどかったからだ。
下げた相手と、軽口を叩く資格は、自分にはない、と勝手に決めていた。
でも、それは、優しさじゃない。
ただの、私の側の、逃げだった。
彼は、私の逃げを、敏感に感じ取っていた。
だから、目線をズラしてくれた。
「あなたが目を合わせづらいのは、分かりますよ」と、彼のほうが先に、気を遣ってくれていた。
そのことに気づいたとき、私は、彼に評価を下げたこと自体より、その後の半年、廊下で目を合わせなかった自分のほうを、深く恥じた。
# 査定の重みは、結果じゃなく、その後にある
22年、人事をやってきて、いちばん痛かった学びがこれだ。
査定の重みは、ランクが上がったか下がったかにはない。
その後、上司と部下が、廊下で目を合わせ続けられたかどうか、にある。
下げても、目を合わせ続けられる関係は、半年後にちゃんと戻ってくる。
上げても、目を合わせなくなった関係は、たぶん、二度と戻らない。
これは、制度の問題じゃない。
人間の問題だ。
そして、これは、評価する側がいつも忘れている話でもある。
私たちは、「公平に下げた」「根拠を持って下げた」と、自分を慰める。
でも、下げられた側は、根拠なんか聞いていない。
その後、あなたが目を合わせてくれるかどうかだけを、見ている。
# AIで査定が自動化される時代に、それでも
最近、評価をAIで支援する話が増えてきた。
うちの会社でも、議事録や1on1のメモから、ある程度の傾向は出るようになってきた。
数字の整合性チェックや、評価のブレの可視化は、もうAIのほうが速い。
私自身、ChatGPTやClaudeに、評価コメントの叩き台を作らせることもある。
それは、いい。
公平性のためにも、進めたほうがいい。
ただ、ひとつ、はっきり言えることがある。
AIは、廊下では使えない。
面談の中身は、AIが整理できるかもしれない。
評価のロジックも、AIが説明してくれるかもしれない。
でも、下げた翌週に、彼の席に寄って、「最近どう?」と、ぎこちなく聞きにいく時間――あの数秒は、人間にしか担えない。
むしろ、AIが査定の精度を上げてくれるなら、その分、私たち管理職に残されるのは、「廊下の時間」のほうだ。
そこから逃げないために、AIに任せられるところは任せたほうがいい。
私はいま、本気でそう思っている。
# 最後に
明日、彼と廊下ですれ違うかもしれない。
たぶん、また、目線がほんの少しズレる。
でも、明日は、こちらから先に、一言かけようと思う。
仕事の話じゃなくていい。
「最近、子ども大きくなったでしょ」とか、その程度の、どうでもいい話で。
半年遅れの、最初の一言。
それで、ぜんぶが戻るとは思っていない。
ただ、人事という仕事は、紙の上で完結する仕事ではない、ということを、彼が、半年かけて、私に教えてくれた。
下げた部下と、目を合わせ続ける。
たったそれだけのことが、22年やっても、まだ難しい。
でも、難しい、と分かったところから、たぶん、もう一回はじめられる。


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